私の平成史㉚~古民家再生3~
神奈川県開成町で1800坪の敷地を有する古民家が再生できたのには、3人の大恩人がいます。
まず敷地建物を所有していた瀬戸家の皆様です。寄付という一大決心がなければ、再生事業は、幻に終わりました。
初代町長も務められた当主の瀬戸格(いたる)さんの後を継いだ長男は、若くして亡くなられました。
奥様が広大な家屋敷を管理していました。かやぶき屋根は趣があり屋根が高く、夏涼しいです。
しかし、かやが痛むとどこからともなく雨漏りの恐れがありますので手入れを怠るわけにはいきません。
巨大な土蔵は、風に晒されて一部傾いていました。しっくいの白壁ですので修繕するには相当の経費が掛かります。
もはや自らの手で再生は困難だと判断し、寄付を決断したのだと思います。この決断は、絶対に忘れてはならない原点です。
瀬戸屋敷の再生には当時の町の一般会計予算のほぼ1割に当たる4億4千万円かかりました。
小さな町の事業費としては巨額です。町の税金をつぎ込むとしてもせいぜい事業費の1割程度でしょうか。
残りは、借金するか、それとも補助金を獲得するかの二者択一です。強い味方が登場しました。
当時の神奈川県知事の岡崎洋さんです。昨年死去されました。岡崎知事がいなければ再生は難しかったでしょう。
補助金の獲得に神奈川県としても積極的に動いてくれました。県財政が厳しい時で異例の応援でした。
国の補助と県の補助でおおむね6割を賄い、残りを町の税金を充て、5年計画で完了するという仕組ができました。
学校や役場を建てるのではありません。借金は好ましくありません。無借金で再生を果たせて良かったです。
ハコモノ行政という言葉があります。批判の矛先のひとつには、借金に飛びつくという姿勢にあります。
瀬戸屋敷再生の財政計画に関する限り、ハコモノ行政には全く該当しません。故・岡崎知事のおかげです。
最後の大恩人は、ひとりの町役場職員です。瀬戸公雄さんといいます。彼の熱心さで事業は進みました。
大学で建築を学んだことも功を奏しました。コンサルタントの選定にあたり業者を公募しました。
専門的知識を持っている瀬戸さんの存在は頼もしかったです。何から何までひとりで背負っていました。
苗字は瀬戸ですが瀬戸家とは関係はありません。担当職員としての責任感で取り組んだ結果です。
私のことですから注文がビシバシ飛びます。パワハラだと言われても仕方がない怒声を浴びせたこともあります。
今も瀬戸さんとは時々顔を合わせることがあります。町長にしごかれましたと言っています。
事業が佳境に入っていたころ瀬戸さんの奥さんからにらまれていた一時期もあったほどです。
瀬戸さんは、役場職員を退職し現在も瀬戸屋敷と関わっています。生涯、縁が切れないと思います。
厳しい町長に巡り合ってしまいしんどかったはずです。しかし、語り継がれる大事業をやり遂げました。
瀬戸さんの胸には、精魂傾けてやり遂げたという誇りが胸に刻み込まれていると思います。一生の宝物のはずです。