おへそ曲がりの「令和」論

4月1日、新元号が発表されました。私の第一印象は、「令」と「和」とのアンバランスでした。

「令」という文字を見て「命令」をイメージしたからです。「和」という漢字が持つ印象とギャップがありました。

「調和を命じる」ということになるとせっかくの「和」がとれてもいつ壊れるかわかりません。

「和」は、できれば全員の納得の上で初めて成り立ちます。権力で力づくで築くのは不可能です。

安倍総理の側近記者として有名なNHKの女性解説委員が、総理は、聖徳太子の言葉にこだわりがあると解説してました。

「和を持って貴しとなす」という有名な言葉にです。「和」に思い入れがあるのでしょう。

「和」と「令」を結び付けたのは、なんと万葉集でした。日本の古典から元号の採用は初めてだということです。

こちらも安倍総理の強い意思が感じられます。漢字のふるさとの中国からの脱却という思いです。

日本最古の歌集の梅の歌の序文からということで、ゆかりの地、福岡県太宰府にはすでに観光客が殺到しているとのことです。

このニュースを聞いてまたふと疑念が浮かんでしまいました。大宰府は、外交と防衛の拠点だったはずです。

ここでもまた「和」の持つイメージと違和感を感じてしまうのです。私は、本当にへそ曲がりです。

外務省が「令和」とは「美しい調和」、「ビューティフルハーモニー」という意味だと説明しています。

補足解説をせざるを得ないということは「令」と「和」との距離感があるという声がある証左だと思います。

多くの国民は、新元号を歓迎していますので、私個人の考えは、超少数意見、へそ曲がりのたわごとと捉えて下さい。

最後に、へそ曲がりらしい思いをひとつ紹介します。日本中でいちばん「和」を求めているのはどこかです。

私は、沖縄だと思います。普天間基地の辺野古への移設に対して県民投票でノーの意思表示をしても政府は聞く耳を持ちません。

「和」の精神と最もほど遠い対応と入れるのではないでしょうか。真摯な話し合いすら持てないのですから異常です。

政府の論理は、普天間基地の移設という「利」があるのではないか、日本の安全のために我慢して欲しいということです。

おおかたの沖縄県民は、普天間も辺野古も同じ沖縄で近いではないか、「利」というのはまやかしだと思ってます。

両者の溝はあまりに深く、「和」は、はるかかなたに遠のくばかりです。どう架け橋を架けるか見つからない状態です。

新元号「令和」の本当の意味が「美しい調和」だというのであれば現状は誠に好ましくありません。

「令和」とは、「命令して和にすべきもの」という私が懸念を抱いた意味であれば現行の政府の対応は合点がいきます。

「令和」の真の意味は、いったいどちらなのかを証明する試金石が沖縄の普天間基地の辺野古移設への対応だと思います。

政府が、強行姿勢を止めないのならば、新元号「令和」は、最初から「和」とは異なる道のりを歩むことになります。