大将の奮戦、実を結ばず
古谷一郎さん、神奈川県秦野市に本拠を置く有名なラーマン店、なんつッ亭の経営者です。
若かりし頃は、ワルで鳴らし、度々警察にご厄介になりました。20代後半、一念発起、ラーメンの世界に飛び込みました。
独特のたれで一世を風靡し、シンガポールなど海外に店を出すまでになりテレビ出演もしばしばでした。
2011年3月11日の東日本大震災で政治に目覚めました。このままで日本は大丈夫なのかという疑問です。
昨年2月、このほど県議に当選した佐々木ナオミさんが中心になり政治グループをつくりました。
「まっとうな政治をつくる緊急行動@西さがみ」です。私も共同代表に1人になりました。
佐々木さんが古谷さんにも声をかけました。私は、初めて古谷さんと知り合いになりました。
まっすぐな性格、本当に本気で日本の政治を憂いている純粋さに新鮮さを強く感じました。
自らの地位を守ることに汲々としている多くの現在の政治家とは次元の異なる姿を見ました。
政治家に転身したいとの願望を持っていました。市議会、県会、国会様々な選択肢がありました。
古谷さんが選んだのは県議会議員でした。理由の一つに自民党の若手の現職議員の振る舞いに対する怒りがありました。
有名人の古谷さんが推して断トツのトップ当選した若い市議会議員は県議会議員へ転出を成功させました。
当選した直後自民党入りしました。このひょう変に古谷さんは、筋が違うと怒ったのです。
自ら県議会議員になってこの姿勢にカツを入れてやろうと決意したのだと推測します。
しかし、秦野市は、古い保守の体質です。古谷さんの因縁のある若い候補ともう1人、自民党候補が対立候補です。
もう1人の候補は新人です。長らく秦野の政治を仕切ってきた県議会議員の後継候補でした。
保守地盤から2人の若い自民党候補が出てそこに古谷さんが殴り込みをかける構図となりました。
古谷さんは、それなりの知名度がありますので選挙が盛り上がれば面白い戦いになるかと思いました。
全くの徒手空拳では戦いきれませんので主張の近い立憲民主党の公認候補となって後押ししてもらおうと考えました。
しかし、選挙はあまり盛り上がらず、投票率は40パーセントを切りました。古谷さんにとって痛手です。
対立候補は、19000票、18000票でした。まるで票割りをしたかのように思えるほどです。
どちらか一方に票が偏れば古谷さんも付け入るスキがあったのでしょうが票は並びました。
古谷さんに入ったのは14000票余りです。前回の県議選で2人の野党系の候補がとった票と同じです。
古谷さんと因縁のある自民党へ転出した現職の票を切り崩せずに終わってしまいました。
孤軍奮闘では限界があります。その弱点を補い当選させるのが政党としての役割のはずです。
残念ながら初めて大きな地方選挙に取り組んだ立憲民主党はそこまでの力量がありませんでした。
立憲民主党が地域に根差した政党になるうえで課題を残した選挙結果です。今後に是非とも活かすべき反省材料です。