昨日は、神奈川県開成町長選挙、町議会議員選挙の告示日でした。神奈川大学の講義と重なりました。

講義は、開成町のまちづくりが主たるテーマで、土台を作ったのは誰かという話をしました。

開成町の発展の基礎は、1963年から20年間の露木甚造町長時代につくられました。言わずと知れた私の父です。

土地利用構想に最大の特色があります。日本中が高度成長、国土開発に沸き返っていたこの時期に違う道を歩みました。

都市計画という考え方を採用して6.55平方キロメートルという狭い町域に開発規制の網をかぶせました。

当時の建設省の指導では、少なくても人口が1万人以上ないと都市計画行政は進めることはできないということでした。

開成町は人口6000人余りで対象外です。露木甚造町長は、国と掛け合い特例を認めさせました。

町民は規制をかけられるのは嫌います。我慢してほしいと要求するのですから反発が出ます。

その反発を超えて理想を追い求めるのは容易ではありません。選挙のことを考えると普通なら二の足を踏みます。

町北部を田園地帯、中央部が住宅地、南部地域が開発地域というシンプルな土地利用規制だったのもわかりやすいです。

露木甚造の真の狙いは、開発区域に小田急線の新駅を誘致して、小田原に次ぐ副中心都市となることでした。

どこへ行っても水田ばかりの時代に大風呂敷を広げ「露木甚造は、ほらは吹いてもうそはつかない」と町民を喚起しました。

これも大変な度胸です。先立つ財源の見通しがあるわけではなく直感でやらなければならないことをいい放ったわけです。

言ってのけて、その後に実現の手法を見つけ出し、断行していくという手法のまちづくりです。

財政難が深刻な現代では、ビビッてしまい、こうしたやり方をとれる首長は少ないとは思いますが一考に値します。

財源のことばかり考えていては本来のあるべき姿を追い求めることが全くできないからです。

露木甚造町長の理想は、自分の在職中には陽の目を見ることはありませんでした。しかし現代に輝きを放ってます。

露木甚造は、町長を辞めて翌年急死しました。それから35年、露木甚造の理想の実現は着々と実現しています。

今度の開成町長選挙は、新たな段階に入ろうとしている開成町のまちづくりを担うのは誰かを決める選挙です。

露木甚造の理想は、小田原に次ぐ副中心都市としての発展を目指すものです。いよいよその理想の実現段階に入ります。

開成町段階の理想の実現は、最終段階を迎え、広域における開成町のまちづくりへとステージが上がるのです。

この時期の開成町長は、町内だけを見る視野ではなくもっと広い視野を持ち長期展望を打ち立てる能力が求められます。

こうした観点から見て、私は、世界を相手に金融マンとして活躍してきた新人の山神裕さんを時代が求めていると確信します。

町民は、どのような判断を下すのか、21日に結果が出ます。開成町のまちづくりにおいて重要な日となります。