さあー、統一地方選挙後半戦12
府川裕一町長が大接戦の選挙戦を勝ち抜き「勝ちは勝ち」と言い放ったことについて昨日のブログで書きました。
府川町長の心底にあった本当の本音が喜びのあまり思わず口に出てしまったのだと推測します。
町長という地位を守ることが自らの生活を支えることに直結するので何をおいても最優先されます。
自民党という看板を取り付けるためになりふり構わずかつて敵対していた面々にも平気で支持を求めていきました。
一方、あと一歩のところで勝利を逃がした山神裕さんの陣営は、この目的のために手段を選ばずという点で負けてました。
勝つためには前回と前々回の選挙で府川町長と一騎打ちを展開した山本研一さんの票をどれだけ固めるかがまず大前提です。
しかしそれだけでは当選ラインに届きません。山神裕さん世代の票や個人のネットワーク票の積み上げが当然必要です。
更に突き抜けるためには府川町長の票を山神さんへと引きはがして移動させるための戦術がなければなりません。
山本票については、山本さんと山神さんとの間で協力関係が成立したことにより、進展していきました。
山神個人としての票の結集を図ることについては現役世代の選対委員長が就任したこともあり進みました。
最大の課題は府川票の切り崩しですが、これは難問でした。私はこの部分にお手伝いする自らの役割があると思ってました。
しかし、私の狙いを阻む厚い壁がありました。山本さんを支援してきた皆さんの私に対する怨念です。
山神さんを勝たせるためにはどうしても恩讐を超えた大同団結を期待したのですが私への反発はそれ以上に強かったです。
私が前面に出ると反発が聞こえて来て選挙の始まる前から私の得意の弁舌を活かす場面を制限せざるを得ませんでした。
私は府川町政の今が良ければ良いという路線では開成町は衰退の道を辿らざるを得ないとの大義を掲げました。
未来構想を明確にし今なすべきことを行うとの山神さんの主張こそが開成町のまちづくりを王道だと訴えました。
こうした大義の下でかつて反発した者同士も勝利のため結集が進んで欲しいとの私の見通しは甘かったです。
想像以上に怨念の闇は深く結果として山神さんの選挙活動にマイナスの影響を与えてしまったとじくじたる思いです。
大同団結がもう少し進展していれば自民党が府川町長支援一辺倒に回るということにもブレーキをかけれたと思い残念です。
勝負という意味では決定的でした。「勝ちは勝ち」という開き直りが府川町長の方が強かったという結果になりました。
山神陣営は、まちづくりの大義とは何かという理想をベースにして選挙の戦略と戦術を考え、その立場は崩しませんでした。
かつて42歳の私を町長に迎え入れてくれた開成町民ならば世代交代を理解してくれると期待しました。
一方、府川町長は、「勝ちは勝ち」の言葉が示すように理想論とは無縁のタイプです。
理想を追い求めた山神陣営は、今一歩のところで動物的なたくましさの前に敗れてしまいました。