平成から令和へ
日本有数のお茶どころ静岡県掛川市の知人から「令和」と名前がついた日本茶をいただきました。
29日、昭和の日に大切なお客さんがこられたので封を開けて皆さんに振るまいました。
昨日30日は、平成天皇の在位最後の日ということでテレビは特集を終日流していました。
平成天皇は、日本国憲法の下での象徴天皇としての在り方を探求し続けたということは共通してました。
11歳、小学生時代に終戦を迎えられ、戦争の記憶は、少年の胸に深く刻まれたはずです。
父、昭和天皇は、戦前は、国家の中心の天皇として戦争の時代を生き、戦後は平和憲法のもとで国家の象徴となりました。
推測ですが父親である昭和天皇の戦争責任に向き合う姿勢を目にして育ったのではないかと思います。
平成天皇の戦没者に向けた真摯な態度と平和への純粋な思いはひしひしと伝わってきます。
高齢になっても戦没者への慰霊のたびを続けられた姿は多くの国民の目に焼き付いています。
私には、父である昭和天皇自身の戦争に対する責任に苦悩する姿をに触発された行動だと思えてなりません。
特に沖縄です。平成天皇が沖縄発訪問の時に詠んだ琉歌が歌となり2月の在位30周年記念式典で披露されました。
沖縄訪問11回だということです。先の大戦で地上戦が展開された沖縄に深い哀悼の念を持ち続ける態度は一貫してました。
さて令和の時代が始まりました。令和という元号名が発表された時、「令」の字に違和感を持ったのは事実です。
「命令」の「令」が思い浮かんだからです。上から国民に命令する国家主義の匂いを感じてしまいました。
先月、22日、日本人としての生きざまを独自の視点から提起し続けている「新しい道」の懇談会がありました。
2か月に1回、有志で杉田廣善さんを講師に招き開成町で開催している会で私も参加しました。
杉田さんが新しい道なりの令和の解釈を披露しました。天の理が地上に降り和をもたらすため国民が努める時代ということでした。
命令する主体は、地上の権力者ではなく天上の絶対の存在から発せられる真理ということです。
そのように考えれば納得がいきます。絶対の存在である天はあまねく光をもたらす過ちがない存在です。
その存在が発する理を実現するために努力するのが日本人の務めだと杉田さんは述べていました。
特別の地位に就いていなくても誰でもがその役割を果たすことができると強調していました。
国家を大木とするとそれを支えているのは根っこであり、根が丈夫かどうかを決めるのはひげ根です。
ひげ根とは人間の欠陥に例えれば末端の毛細血管のようなものです。ここがしっかりしているかどうかが最も大切です。
大半の国民はひげ根です。そのひげ根が天が求める立派な生き方をすることで和の国へと進めるというのです。
令和の時代に生きる筋道が見えました。目標は「和」です。そのために天の命令に耳を澄ませということになります。
杉田さんは、あらゆる事柄を価値判断しないで喜んで受け止めれば天の声は聴こえると言われます。