新しい道とソクラテス
昨日のブログで新元号の令和の持つ意味について、日本人の在り方を問い続けている新しい道の解釈を紹介しました。
講師の杉田廣善さんによれば絶対の統治者である天の理が地上に降り、日本国民は和の実現のために努力するとの意味です。
新しい道とは、明治34(1901)年生まれの松木草垣(そうえん)女史が開いたものです。
昭和27(1953)年から神秘的現象が現れ始めおなかの中から声が聞こえるようになったということです。
昭和31(1956)年に新しい道という名前とし、昭和35(1960)年から大阪府羽曳野市を拠点としました。
根本の教えは「あたまではなくみたま」です。人の知識は当てにならず、「みたま」に絶対の信頼をおくことです。
「みたま」とは、表現が難しいのですが、魂、あるいは本当の自分と言ったほうが良いと思います。
人は、魂・本当の自分と合体することができればすべての恐れや苦しみから解放され自由自在になれます。
人間の心は常に欲望で満たされているので魂・本当の自分の存在が知覚できないので合体できません。
人は、立派なことを言っているように見えても何も知らない状態で右往左往していると言えます。
自分が自分がという欲望が消えて魂・本当の自分と合体した時に見える光景や思いこそが真実だということです。
こう考えるとギリシャ哲学の開祖ともいえる偉大な哲学者のソクラテスをふと思い浮かべてしまいました。
今から2400年前前後にアテネで活躍したソクラテスはよからぬ教えを若者たちに広めているとの罪で死刑の評決を受けます。
逃亡することができたにもかかわらず忠告を退け死を選びました。真理を求める生きざまを優先したのです。
ソクラテスの教えの根本は、人は何も知らないということです。知らないのに立派なことを言っていると追及するのです。
ギリシャ哲学の創始者のひとりプラトンは『ソクラテスの弁明』という著書を残しています。
死刑判決と向き合うソクラテスの姿を描いてます。その中に驚くべき内容に触れています。
ソクラテスが真理といっているのはおなかの中、内部から湧き出る何かであるというのです。
久保勉訳の岩波文庫版によれば「うちに一種の声が聴こえてくるのである」とソクラテスは語ってます。
新しい道の松木草垣女史と全く同じです。現代のように信教の自由が保障されている訳ではありません。
ソクラテスは奇怪な教えを広めていると断罪されたのです。松木女史も世が世ならば生命は保障されなかったでしょう。
ソクラテスにしても松木女史にしても自らが語る内容に絶対の確信があるのだと思います。
魂・本当の自分と合体していることに由来する確信です。その確信から導かれた言葉は一緒でした。
人は、物事を見ているようで何も見ていないのであって本当の真実は何も知らないでいるというのです。
魂・本当の自分に気づき、人としてあるべき姿を追求することが令和の時代だと諭されているように思えてなりません。