昨日のブログでギリシャ哲学の巨人、プラトンは、『国家』という大作を発表し理想の国のビジョンを示したと書きました。

ただ、岩波文庫の日本語版で上巻456ページ、下巻493ページ、ちょっとやそっとでは読めません。

プラトン研究者として著名な藤沢令夫さんの翻訳は素晴らしくこなれていますが、それでも手ごわいです。

理想の国は、哲学者こそが指導者となるべきでそのビジョンはこれだと2冊差し出されてもイメージが湧きません。

百聞は、一見に如かずのことわざ通り、人間は、視覚による知覚がすとんと落ちやすいです。

ビジョンは、文書ではなく、映像がイメージできるところまで具体の姿を示していく必要があります。

歴史に題材を求めるやり方があります。理想とする歴史の特定の時期を取り出してイメージとして提案するのです。

私たちの地域では、地域の中心都市、小田原は、この手法を採用できる最も可能性が高い都市です。

戦国時代を切り開いた後北条の時代、15世紀は、小田原という都市の存在感が最も高かった時期です。

日本の都、京都は、応仁の乱の後ですさみ、大友氏が支配する山口と北条氏の小田原が代表的都市とされました。

小田原の繁栄には、いくつかの理由があります。京都、奈良、鎌倉から一流の文化人を集め文化を花開かせたことです。

茶の湯の千利休の高弟の山上宗二が代表です。今も続く名薬のういろうが重用されたのもこの時です。

工芸品、刀剣などの技術が発達し「小田原物」として高い評価を得るようになりました。

この時代のイメージを膨らませて現代の文化都市のビジョンを創ることは十二分に可能なことです。

開成町のようにさしたる歴史が存在しない場合はどうすれば良いかです。内外に範を求めるのが順当です。

私の父は、地域の中心都市小田原を横目ににらんで、小田原に次ぐ第2の都市を創造すると打ち上げました。

60年前の水田だらけの時代の開成町でこう言い切るのは大変勇気がいると思いますがアドバルーンを上げました。

私は、前の町長の山本久雄町長が全町公園化という目標を掲げたのを受けて足柄平野のシンガポールを目指すとしました。

都市計画を徹底し美しい景観を創り出しその上で田舎ではあるものの近代的な都市の要素を盛り込もうとしました。

いずれにしても具体のイメージが湧くようなビジョンを打ち出すことが何より大切です。

しかし、今日的問題は、それぞれの各市町が別々にビジョンを打ち出してしあっては収拾がつかないということです。

地域全体として勢いがある時代は、独自性を打ち出し自らの地域のことを中心に考えても許されました。

もはやそういった時代ではないことはだれの目にも明らかです。市町の壁を超えて共有できる地域ビジョンが必要です。

共通ビジョンを創り出して、その上で地域の独自性を考える手法をとることが求められているのです。

順番が逆になったことに留意する必要があります。独自性が先ではなく共通ビジョンが先だということです。