昨日、神奈川大学の講義の後、東京・六本木の森美術館によって現代美術の企画展を鑑賞しました。

「六本木クロッシング2019展」とタイトルが付けられて「つないでみる」がテーマでした。

芸術に不案内な私には、現代美術はハードルが高いです。感じるよりほかに理解の方法が見つかりません。

感じたままに感想を述べますと現代美術の作家も何を表現するのか迷いの中にいるというのが実感です。

3・11などの大災害、止まぬ戦争、ITを中心とする最先端技術の急激な発展の中で居場所が見つからないのが人間。

未来が見い出せないのでさ迷ってしまいます。その時代の気分が現代美術に現れていました。

何とかつながりを求めて平和で安心の世界に戻ろうとするのですが手がかりが見い出せず漂っている感じでした。

現代美術展を鑑賞していて、この状況は、現代のまちづくりにもそっくりそのまま当てはまると思いました。

まちづくりの世界の確たるモデルを喪失してしまい本当の自身を持って未来の構想を打ち出すことができません。

感性鋭い現代美術の作家ですら未来が見えない時代です。政治家は、現状に留まることで自己満足しているのが一般的です。

何が足らないのかといえば確かな未来を感じ取ることができるビジョンが共有されていないことに尽きます。

昨日にブログでも触れましたがビジョンの共有がないことが全ての人を不安がらせさ迷わせる根本だと思います。

共有できるビジョンを再構築しなければならないのです。危機の時代に生きる政治家の大いなる使命だと思います。

地理的・空間的範囲は、小さな町村から国家、さらには世界、昨今は宇宙空間までをも視野に入れようとしています。

それぞれのレベルでみんなが共有できるビジョンが必要です。人々のより良き未来への確信につながります。

私は、橋下徹さんが提唱した大阪都構想は、そうした未来ビジョンのひとつだと評価しています。

所属する衆議院議員のとんでも発言で揺れる日本維新の会ですが、原点のビジョンは間違っていません。

橋下さんが誤ったのは急ぎ過ぎたことです。ビジョンは、神話と同じでありそうな物語だと言えます。

短兵急に実現しようとするような代物ではなく長い年月をかけて掲げ続けていくうちに自ずとなるものです。

カリスマ性のある橋下さんが去ったのは良かったです。現在の松井・吉村体制は橋下さんほどの突破力はありません。

それが功を奏すのです。日本全国、喧嘩ばかりしている府県と中心市の関係が大阪だけは異なっています。

一心同体で大阪のまちづくりを進める環境にあるのです。この関係を維持することが大阪都構想につながります。

ただし、橋下さんのように急ぎ出すと必ず墓穴を掘ります。ビジョンは掲げ続けることを欲してます。

まちづくりレベルによる共有するビジョンのひとつのモデルケースを大阪都構想は示しています。

まちづくりのリーダーは、大阪都構想のように、臆することなく大胆なビジョンを打ち出す時期です。