新人町議、武井正広さんの一日大学講師

昨日は神奈川大学の講義日。先の統一地方選挙で当選した開成町議、武井正広さんをゲストに招きました。

講義は、45分、質疑応答を入れて、1時間弱。お見事でした。とても初めてとは思えないほど堂々としてました。

武井さん、講義の前は、いささか緊張しているようでしたが、始まると、そんな様子はどこかに吹き飛んでました。

武井さん、武井さんは、1965年、神奈川県山北町生まれです。当時は、地域でいちばんの人口のまちでした。

ところが現在は、人口1万人を切り、消滅可能性都市と指摘されるまでに勢いが衰えています。

武井さんは、町の勢いの盛衰というものを肌身に感じています。人口減少の怖さも身に染みています。

2001年に開成町に家を建てて移り住みました。躍進する町の勢いも目の当たりにしました。

衰退と成長とを両方知っている武井さんに人口問題を学生たちに話してもらいたかったのでゲストに招きました。

私の狙いははまりました。大都市に住む学生が多いです。武井さんの実感がこもった話をリアルに受け止めてくれました。

講義の後に提出してもらった感想にも人口減少について記述している学生が多くいました。

武井さんは、学生から意見を聴くのが上手です。人口減少と聞いてイメージが浮かぶ方と呼びかけました。

100人ほどの学生のうち十数人、手が上がりました。教壇から降りて学生のところに行きインタビューしました。

地方から来ている学生は、商店街がシャッター通りとなっている実情を見ているので、それが印象に残ってます。

武井さん自身もJR御殿場線の山北駅前の商店街の盛衰を見てきました。今は、まず人通りがありません。

かつては東海道本線の地域の主要駅でした。国鉄(現JR)の町といわれるほど盛況を極めました。

1934年に神奈川県と静岡県を直線で結ぶ丹那トンネルが開通し環境が激変しました。

山北駅はローカル線の駅へといわば格下げになりました。ここから山北町の長期低落が始まりました。

人口減少はいわば必然だったのです。待ったをかける本格的な一手を打つことなく時代は流れてしまいました。

人口の減り方が急激になると手の打ちようがないから人口が増えている時から対応すべきだと武井さんは話していました。

武井さんの実家は山北町で燃料店を営んでます。灯油の配達で消費量がどんどん減っていることがわかるとのことです。

高齢者だけの世帯となると消費量は得ります。そのうち高齢者が施設に入ったりすると空き家となります。

人口は減少させないようにすることが基本だと強調してました。躍進している開成町ならば対応可能だと述べてました。

子育て世代への支援と購入しやすい価格の良質な住宅地の提供に努めれば人口を維持することは可能です。

武井さん、学生と一緒にいるとエネルギーをもらえて楽しいですねと講義後語ってました。

武井さんの充実の講義を聴き、今後の活躍が一段と楽しみになりました。開成町の希望の星のひとりです。

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