尊徳の実践力と早雲の構想力が日本と世界を救う
昨日、二宮尊徳の生家の隣にある尊徳記念館で「世界のための日本のこころセンター」の研修会がありました。
通産省(現経済産業省)の幹部だった土居征夫らが立ち上げた会です。それにしても大胆な名前がついてます。
参加者は、15人でした。ギリシャ哲学の専門家で大学の名誉教授や元通産相の幹部らそうそうたる皆さんでした。
会の名前には、日本のこころとは何かを見つめ直すことは世界の混迷を救うずだとの確信がこもっています。
日本は、宗教や思想のデパートと言って良い状況です。日本の立ち位置を考える場合に大切なところです。
融通無碍にありとあらゆる受け入れる柔軟性を持っている国が日本の特質であるという点です。
問題は、ただ受け入れるだけの何でもありの状況から何を取り出しどういった思想を逆発信するかだと思います。
二宮尊徳は、逆発信をした実践的な思想家です。二宮尊徳は、「神儒仏一粒丸」と表現し「報徳思想」を創設しました。
江戸時代後期から末期にかけて疲弊した600の村を再興する実践から神道も儒教も仏教もひとつだと喝破しました。
二宮尊徳の思想の創設には、ごった煮状況の日本の思想界の状況から独自の思想を打ち出す手掛かりがあります。
「世界のための日本のこころセンター」が第1回目の研修会のテーマに二宮尊徳を選んだのは時宜を得てます。
講演を依頼された私は二宮尊徳を色眼鏡で見ずに実像を知ることに努めて欲しいと要請しました。
たきぎを背負って困難にも負けずに努力する少年時代の作られたイメージの影響が今なお大き過ぎるからです。
実像は、コメ相場にも長じ、資金を得て、村の再建に資金をつぎ込み、成し遂げた実践にこだわる社会実業家です。
村の再興を実践する際に有用な独自の理論を構築した思想家でもありました。その思想は道徳性の高いものでした。
経済と道徳という対立しかねないふたつの要素を自らの身体の中でひとつにした類まれな人物です。
講演では、二宮尊徳に不足しているところは何かについても触れました。時代を切り開く大胆な構想だと指摘しました。
二宮尊徳は、まじめで地味です。そのイメージを持ったままだと人々を喚起しません。
人々の耳目を引く構想をぶち上げることが不可欠だと思います。北条早雲を取り上げました。
二宮尊徳が活躍した前に小田原には北条早雲が切り開いた16世紀のおよそ100年がありました。
下剋上の戦国時代を拓いたと評価されています。小田原は日本を代表する都市として繁栄を極めました。
尊徳の実践力とともに早雲の構想力が求められているのです。小田原には2人の偉人が存在したのです。
この両者を組み合わせれば地域を興し国を創り世界に貢献することも決して夢ではないと話しました。
「世界のための日本のこころセンター」は、発足したばかりの団体ですが、その使命は大きいと思います。
日本には世界中の思想の種が何でもあります。そこから日本の独自の思想をもう一度創り出し発信する時だからです。