二宮尊徳の実践力の背景を探る
昨日に引き続き二宮尊徳についてです。世界のための日本のこころセンター主催の合宿で話をしたことを紹介しました。
その際に二宮尊徳に関する謎について触れました。あれほどの実践力を身につけた理由についてです。
私は、1829(文政12)年の成田山新勝寺での断食修養が深くかかわっているとにらんでいます。
困難な事業をやり遂げるには、精神面における確信のようなものがなければならないと思うからです。
理論理屈では難事業は完遂できません。実践の現場は、机上で考えてことと全く異なる事件の連続です。
仮に事業推進のための理論があったとしても、いちいち理論を参照していては手に負えないことばかりです。
二宮尊徳の時代は、人力に頼って仕事を進める時代でした。とりわけ人の心理は測りかねます。
二宮尊徳がいかに立派なことを述べて農民を引っ張ろうとしても言うことを聴かない事態が起こりうるのです。
私が常に参照する吉川弘文館の人物叢書『二宮尊徳』でも章立てをして成田山新勝寺への出奔について書いてます。
二宮尊徳(当時はまだ名前は金次郎)は桜町領(現在の栃木県真岡市)の立て直しを命じられて悪戦苦闘の最中でした。
突如行方不明になりました。成田山新勝寺で21日間の断食修養をしていることが判明しました。
この3週間が何を意味するかです。二宮尊徳の高弟の富田高慶は、尊徳自らの真心が本物かどうか確かめたとしてます。
富田の『報徳記』によれば、尊徳は、不動明王に祈り真心を再確認するとともに新たな世界観を身に着けたと記してます。
仏教の教えはあらゆるものに仏のこころが備わっていることが前提です。桜町領民全てに徳があるとの考えに至りました。
この考え方が、有名な一円融合です。全ての人々の徳を結集してこそ事業は成し遂げられるということです。
一方的に考えを押し付けるのではなくすべての人々の徳を引き出すことこそ重要であるという発想の大転換です。
成田山新勝寺での3週間の断食修養が極めて重要な意味を持っていることを『報徳記』は示しています。
私は、偉大な事業を成し遂げる実践力の背景には、理論理屈を超えた精神的な確信があるはずだと述べました。
二宮尊徳は、成田山新勝寺で確信を会得したことになります。この重要性は、もっと強調されても良いと思います。
神仏に違和感を持つ方も大勢いられます。しかし、神仏と真正面から向き合うことなしに大事業は成し遂げられません。
これは古今東西、太古から現代まで貫かれている大原則だと思えてなりません。現代人が忘れているだけです。
神と呼ぼうが仏と呼ぼうが天と呼ぼうが何でも良いです。人力を超えた何か超偉大な存在があると私は信じます。
二宮尊徳は、困難に直面した時に、真正面から不動明王に向き合い人知を超える存在について確証を得たのだと思います。
そしてその存在と常に向き合いながら事業を進めれば物事は好転すると確信を持ち再び立ち上がったのだと思います。