お孫さんの人生を決めた祖父の生きざま

昨日、川崎市にある「かながわサイエンスパーク」のホールで元県副知事の久保孝雄さんの90歳のお祝いの会がありました。

県関係者、久保さんが精魂込めて取り組んだサイエンスパークや日中友好の取り組みの関係者ら85人が集いました。

久保さんは、神奈川県政が最も輝いていた時代、長洲一二県知事時代に1987年から4年間副知事を務めました。

副知事を退いた後は、サイエンスパークの社長を8年間、その後川崎市産業振興財団理事長などを務めました。

サイエンスパーク事業は、民間企業との共同出資で立ち上げ新規産業を創造しようという挑戦で注目されました。

更に県の日中友好協会の理事長を12年間務め神奈川県の日中友好の顔として活躍されました。

久保さんは、16歳の時に敗戦を迎え、軍国少年だった久保さんを立ち直らせたのは一冊の本でした。

アメリカ人ジャーナリストが中国共産党の国家建設を描いた『中国の赤い星』でした。

呆然として進路が見い出せない時代に新たな中国の見方を知ることができたと回想されてます。

大学は東京外国語大学の中国語科に進まれて中国を基軸に国際情勢に深い関心を持ち続けてきました。

私が、久保さんと知り合ったのは中国関係の交流を通じてのことです。2010年の秋でした。

この年の11月に第1回の全国禹王サミットを開成町で開催することになりメインゲストのおひとりとしてお呼びしました。

会食の途中でスピーチを突然指名されました。横浜市内にある神奈川県日中友好協会の事務所を訪問した時のことを話しました。

狭い事務所で向き合い私が熱を込めてサミットのへ参加をお願いしているのをいささか戸惑った様子で眺めていました。

中国の治水の神様の禹王が神奈川県西部を流れる酒匂川の治水の難所に祀られていること。

全国にも同様に祀っている遺跡があることがわかり共同史研究者らが一堂に会すること。

いくら懸命に説明しても久保さんにとっては初耳でサミットが実現できるか半信半疑だったお思います。

しかし、私があまりに熱く語るものですから、すぐに参加しましょうという返事をいただきました。

久保さんのすごいところは90歳になっても国際情勢などへの関心が全く衰えないところです。

中国との関係を大事にすることが日本の経済を強くすることにつながるという信念にはいささかの揺らぎもありません。

神奈川県としてもっと中国との交流、特に経済面での交流強化を進めるべきだとやきもきしているはずです。

3人のお孫さんが登場しました。いちばん上で、高校の先生になっている女子が代表してあいさつしました。

高校教師になったのは祖父の影響だと話してました。県のために一生懸命に尽くしている姿に刺激を受けたということです。

久保さんは、知らず知らずのうちに背中で孫に人生の歩み方を教えていたのです。

祖父の生き方に学んだという孫の一言は、久保さんにとって最高のプレゼントの言葉だと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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