二宮尊徳のむらおこしのふたつの基本
東京・湯島で行われている小さい勉強会があります。とても質が高いです。7月中旬に二宮尊徳の話をすることになりました。
何を話そうか色々と考えを巡らせていると二宮尊徳を観るうえで大切なポイントが見えてきました。
江戸時代後期、二宮尊徳は、荒廃した600もの農村の再興に尽力しとといわれます。
なぜこのように数多くの農村立て直し事業を推進できたかというと基本となるひな形が出来ていたからです。
下野の国桜町領(現在の栃木県真岡市)で展開した事業の実体験から得たる再興のモデルがそれにあたります。
桜町領の事業は、1823年から1836年まで続きました。決して平たんな道のりではありません。
村内をまとめることが出来ず事業が滞り、成田山新勝寺にこもり21日間の断食修養をしたこともありました。
1829年の正月のことです。まる5年経過した時点で桜町領での事業推進は危機に瀕しました。
この断食修養を契機に二宮尊徳はいわゆる一円融合の世界観を会得したことで事業が円滑化したとされています。
一円融合とは、優れた個性を持ち寄り総合力が発揮できるような仕組みをつくることと言い換えられると思います。
トップダウン型で引っ張るだけでなく反対派の意見にも耳を傾け、より大きな視野を得たと思います。
二宮尊徳は、机上の人ではありません。極めて実践的な優れた理論はもともと持ち合わせていました。
事業を興す土台金を確保すること。その上で事業推進のための長期的な財政収支計画を立てること。
低利あるいは無償の貸し付けで農民の自立を促すこと。収益に上限を設定し余剰金は投資へと回すこと。
お金も用意して事業実践のための理論構築ができていても村人たちの意識が一枚岩にならなければ上手く行かなかったのです。
そういった観点から見ると二宮尊徳の主張のうち、「一円融合」、「心田開発」のふたつが俄然クローズアップされます。
「一円融合」は先ほど述べた通りです。賛成とか反対とか色分けする考え方を超えて発想することがカギです。
色眼鏡で観ることを戒めたといっても良いと思います。リーダーが持つべき最も基本的な考え方だと思います。
もうひとつの「心田開発」は、自主性の喚起です。何でもかんでも手取り足取りでは事業は進みません。
面倒見てもらってスタートの時点は何とかうまくいっても支援の手が離れると途端にとん挫します。
農民自ら自主的に取り組むマインドがあって始めて事業は継続し、工夫が凝らされるようになります。
リーダー層にとっては「一円融合」の考え方、一般の農民にとっては「心田開発」、この両者のバランスです。
「一円融合」の考え方は、リーダーたちに短兵急な行動をさせない歯止めとなり現場をまとめる力が働きます。
「心田開発」の意識は、現場の責任感を格段に強めます。自発的な行動へとつながります。
実践の人、二宮尊徳は、奥が深いです。現代において学ぶ必要のある巨人だと益々思うようになりました。