異文化交流の達人に学ぶ

富士箱根ゲストハウス代表の高橋正美さんの神奈川大学での講義を伺ってはっとしたひとことがありました。

「伝える」と「伝わる」は違うということでした。ふたつを分けて考えなければならないということでした。

目からうろこというか、目が覚めた感じがしました。慌ててメモに「伝える」「伝わる」の違いとメモしました。

ついつい「伝える」ことにばかり集中してしまいがちです。伝わっているかどうかにはおろそかです。

伝わっていなければ、いくら「伝えた」ところであまり意味はありません。伝わってこそコミュニケーションです。

当たり前と言えば当たり前ですが、この当たり前がほとんどできていないことに気付きました。

高橋さんは、外国人との交流という最も伝わりにくい現場で仕事をされています。

伝わっているかどうかについては細心の注意を払っているはずです。その方の言葉だけに重みがあります。

伝える側の勝手な思惑は障害になります。伝っているはずは、あくまでも願望であって、本当にそうかわかりません。

相手によく確認して相手側の立場に立って伝える工夫をしなければいつまでたっても改善しません。

高橋さんは外国人旅行者も知らない場所に来て心細いのだと言ってました。その気持ちに寄り添うことが大切です。

気遣ってくれていることがわかれば自ずと不安感はやわらぎ心が開きます。伝わる土台ができます。

これは外国人との交流だけでなく日本人同士のありとあらゆる状況に応用ができる真理です。

相手の立場に立って相手がどんな心境であるかを配慮して伝えることを心がければトラブルは一気に減ります。

「言った」とか「言わない」とかの言い合いもなくなるでしょう。伝わらないことを人のせいにはしないからです。

私も大いに反省させられたひとりです。自分の考えをぶちまけているだけではないかと思い返しました。

記者時代のリポート、政治家になっての演説、町長時代の講話、伝わっているかのチェックが足りませんでした。

ありとあらゆる局面で発する言葉全てにおいてそうだったと言って良いと思います。

発する言葉を軽く見ていたことになります。伝わってこそコミュニケーションという真理をおろそかにしてました。

伝っているかどうか、常に点検が不可欠です。自分の言葉に酔うなんてもってのほかです。

格好良いことば、美しいことばを発することが大切ではなく、その言葉が伝わっているかどうかが大切です。

あーそうだったのかと頭を抱えたい気分です。反省のきっかけを与えてもらい感謝です。

さて、本日のブログは、伝わっているでしょうか。いささか心もとないところがあります。

読者の立場に思いを馳せてできる限りわかりやすい表現で伝える努力をすることは言うまでもありません。

それでも伝わっているかどうかは不明だという謙虚な気持ちを常に持たなければならなりません。

これだけかみ砕いているから良いだろうというのは発する側の勝手な思い込みです。注意します。