川崎の活力を神奈川県西部へ
昨日16日は、神奈川大学前期講義の最終日です。特別ゲスト講師をお迎えしました。
川崎市の元副市長の三浦淳さんです。川崎市の躍進を支えた立役者です。現在は川崎市産業振興財団理事長です。
大都市をけん引してきた実践者ですので説得力が違います。学生にとって貴重な機会だったことは間違いありません。
隣接する羽田空港は、離発着する便の増加により8500万人、世界第3位の利用客数を伺うまでになりました。
このようなグローバルな環境を存分に活かし川崎は成長し続けています。世界的企業の進出が目立ちます。
日本一の研究開発・産業都市と称していますが決して名前だけではなく実質が伴っています。
ライフサイエンス分野の研究は最先端を発してます。三浦さんは、ノーベル賞を期待してますと話してました。
「ミクロの決死圏」というアメリカ映画ありました。1966年封切です。60歳以上の方なら覚えていると思います。
医療チームを乗せたカプセルが極小となり人体の中に入り込み治療する冒険映画でした。
その物語が今現実になろうとしています。最先端を走っているのが東大のチームだということです。
抗がん剤を乗せた極小のマシンががん細胞だけを狙い撃ちして治療する臨床試験が行われてます。
川崎と言えばかつては、大気汚染などの公害の代名詞みたいなイメージが強烈でした。
芸術と文化、それと多摩川の自然景観。これらがイメージ刷新において一番効果的だったと思います。
日本を代表するシンフォニーホールができ世界を代表するオーケストラの演奏が聴けます。
スポーツも盛んです。サッカーの川崎フロンターレが代表格です。バスケの川s気ブレイブサンダースもあります。
三浦さんの講義は川崎の発展だけでなく、その活力を他都市との連携によって高めあうという視点がありました。
日本を代表する林業県である宮崎県と連携し国産の木材活用のプロジェクトを始めています。
川崎が京浜臨海部を代表する工業都市として発展していた時代、沖縄県から多数の働き手が移住しました。
沖縄との連携により日本最大の沖縄ロック音楽祭が毎年開催されてます。延べ25万人動員です。
川崎市は、153万川崎市民の命の水のおよそ半分を支えている酒匂川水系の水源地にある山北町とも交流を進めてます。
山北のお茶を川崎市の持つつながりを通じて輸出しようとの動きも始まったということです。
三浦さんの話を伺っていて神奈川県西部全体として川崎の活力を活かすべきだと痛感しました。
今世界から川崎を目指して産業が集まり成果が生まれつつあります。その成果を県西部へと波及させる一手が必要です。
例えば最先端医療の分野です。その最先端医療を展開する医療機関を誘致するとかが考えられます。
大都会の川崎に医療機関を建てるよりも県西部地域に建てた方が空気も景観も良く建設コストも抑えられます。
衰退しつつある県西部と躍進する川崎、もっと関係強化が必要です。ウィン・ウィンの関係を目指すべきです。