旧海軍最高機密文書と初代宮内庁長官の「拝謁記」

終戦後74年、NHKスペシャルの快走が続いてます。隠された歴史の真実に肉薄する番組が続きました。

8月15日、終戦の日のNHKスペシャル「全貌二・二六~最高機密で迫る~」、見ごたえありました。

私ががく然としたのは当時の海軍は陸軍のクーデターの動きをほぼ正確に把握していたという事実です。

首謀者の名前まで特定していました。しかし、その最高機密情報は海軍内部でとどまりました。

1936年2月26日2・26事件が発生すると海軍は民衆に紛らせてスパイを送りこみ情報収集に努めました。

日本国内が、陸軍のクーデターにより内乱に発展にすることに備え東京湾に軍艦を配備しました。

同じ国同士の軍隊かと思ってしまったのは決して私1人ではないと思います。縦割り意識の根深さにため息が出ました。

海軍が把握した最高機密情報は陸海軍を統括する天皇にまで上げて国家的見地から判断するのが本来です。

そうはならず、2・26事件は、勃発してしまいました。軍あって国家なし意識の末路と思いました。

初代宮内庁長官、田島道治さんが昭和天皇とのやり取りを詳細に記録した「拝謁記(はいえつき)」。

NHKは、遺族から超ド級の資料の提供を受けて研究者とともに分析した結果を特別番組にしました。

8月17日放送のこの番組は、昭和天皇の実像を明るみに出す内容で、衝撃的でした。

1949年2月から1953年12月までの間、拝謁は、600回、300時間を超えるとのことです。

生々しい肉声がそのままメモの形で記されていて最高級の第一次資料だと専門研究者は述べてます。

番組を見て私がいちばん印象に残ったのは、昭和天皇が憲法9条の改正を行い再軍備を志向していたことです。

拝謁記によって私の疑念がようやく晴れました。やはり昭和天皇は象徴天皇の枠を超えて行動していたのです。

豊下楢彦さんという近現代史の研究者が著した『昭和天皇・マッカーサー会見』という名著があります。

憲法で象徴となり政治的行動をとらないとされた昭和天皇は、占領軍の最高指揮官と11回会談しました。

国家のあり方の基本を話し合ってました。昭和天皇自ら憲法の規定を無視しているとがく然としたのです。

初代宮内庁長官の田嶋道治は、昭和天皇が政治のど真ん中に踏み込みたいとすることを再三にわたりいさめていました。

昭和天皇は、大日本帝国憲法から現行の憲法へと変わり象徴天皇になった後も戦前の天皇のあり方を引きずっていました。

憲法によって象徴とされた存在が、憲法の肝といえる9条の改正を主張していたというのですから驚きです。

昭和天皇は、国際情勢に精通した現実主義者だったといえます。憲法9条の理想主義的考え方とは相いれませんでした。

拝謁記は、昭和天皇の関係する戦後史の謎を解明する玉手箱のようです。更なる解明が進展することを期待します。

詳細はこちらから→https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1&diary=1