昨日、足柄の歴史再発見クラブの役員7人で東京あきる野市を訪問し、田中丘隅のゆかりの地を回りました。

田中丘隅(きゅうぐ)は、1662年に平沢村、現在のあきる野市平沢に生まれ治水事業に多大な功績を残しました。

最も困難な事業が1707年の富士山宝永大噴火後の私たちの地域を流れる酒匂川の治水工事でした。

将軍徳川吉宗の命を受けて取り組み1726年に当時の最先端の技術を用いて土手を修復しました。

丘隅が築いた土手は現在も酒匂川が山間地から平野部に注ぐ治水の難所の守りの要となっています。

私たちは、丘隅のおかげで現在の生活があるといっても決して言い過ぎではないほどの恩恵を得てます。

私は、13年前に発足した足柄の歴史再発見クラブの活動を通じて丘隅の存在を初めて知りました。

その生きざまの鮮烈さに深い尊敬の念とともに強いあこがれを抱き続けてきました。

丘隅は、生まれ故郷を離れ川崎の名主の家に婿養子に入り宿場の経済を立て直し、50歳で隠居しました。

日本各地を回り、その時得た見聞を基に当時の国づくりを批判しあるべき姿を提言した『民間省要』を著しました。

その警世の書は、将軍徳川吉宗に献上され丘隅は吉宗に登用されるきっかけを得ました。

そして丘隅は、実際に言ってきたことを多摩川の治水や酒匂川の治水でやってのけたのです。

高い志と不退転の決意、口だけでなく実際に実践する身の処し方、どれもこれもほれぼれとします。

田中丘隅のお墓は、廣済寺という寺院にありました。ときおり強い雨が降ってました。

丘隅が涙を流してくれているのか、あるいは酒匂川の水害を忘れるなとの警鐘かもしれません。

丘隅の墓は、1998年3月13日東京都の文化財に指定されてました。日付を知り驚きました。

私が開成町長に就任したのは同じ年の2月25日でした。丘隅ほどの偉人の墓を文化財指定するに遅すぎます。

案内して下さったあきる野市文化財保護審議会委員の坂上洋之さんの話を伺って理由がわかりました。

田中丘隅の生まれ故郷のあきる野市では田中丘隅への関心はさほど高くなかったということです。

丘隅研究の第一人者で法政大学名誉教授の故村上直さんが再三にわたりあきる野市を訪問したということです。

村上さんらの熱心な研究活動があきる野市の市民を喚起したのです。今日では評価は定着してます。

あきる野市には秋川ファーマーズセンターという巨大な農産物の直売所があります。

1993年8月7日にオープンでした。これも驚きです。私がNHKを37歳の時に退職したのは3日後です。

丘隅の偉業を伝える掲示板がありました。制作に協力したのはなんと南足柄市教育委員会でした。

南足柄市で作成した田中丘隅の紙芝居の原画が使われていました。南足柄市長にぜひ伝えなければと思いました。

10月12日には、町のマイクロバスを借りて会員ともう一度あきる野市を訪問することを決めました。

私たちの地域を救った恩人田中丘隅を通じてあきる野市との結びつきをもっと深めたいです。