中国第2番目の大河、黄河。山西省で山間部から広大な華北平原へと流れ込むいわば蛇口の様なポイントがあります。

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禹門口(うもんこう)です。治水技術に秀でた禹が大変な難事業の末に切り開いたといわれます。

禹は、この業績により皇帝の座に就き中国で最初の世襲王朝、夏(か)を創設したと言われます。

2013年5月、中国を訪問した際に禹門口を訪れました。山間から泥水の様な川の水がとうとうと流れていました。

地形を見た時、私のふるさとの神奈川県西部を流れる酒匂川の大口(おおくち)を思い出しました。

スケールは全く異なります。酒匂川の全長は46キロです。120倍近くの差があります。

しかし、治水の難所という共通点はすぐ理解できます。大口一帯は、日本の禹門口です。

酒匂川のほとりには神を祀る場所がふたつあります。ふたつとも中国の伝説の皇帝、禹王を祀ったものです。

1707年の富士山宝永噴火後の洪水により破壊された堤防の修復工事後、徳川吉宗からの資金を得て建てられました。

田中丘隅によって祀られました。中国の伝説の皇帝で治水の神、禹を祀るという発想には目を見張ります。

話を禹門口に戻します。中国で崇拝される伝説の動物は龍です。鯉が龍に変身するという伝説があります。

全ての鯉がなれる訳ではありません。激しい急流に耐えて登り切った鯉が龍になるのです。

この言い伝えから登龍門という言葉が生まれました。禹門口は鯉にとって龍になれるかどうかを決める試練の場でした。

著:植村善博 著:治水神・禹王研究会 出版社:古今書院 発行年月:2019年09月

禹王研究の第一人者のぶ佛教大学名誉教授の植村善博さんが『禹王と治水の地域史』という著書を出されました。

この中で日本には禹門という建築物があると紹介されていました。興味をそそりました。

京都の名刹大徳寺内の龍光院にあり禹門の額がかけられています。江戸時代初期に建てられたと見られれてます。

同じく京都の名刹知恩院の日本庭園の禹門があります。1968年に庭園の改造に伴って設置されました。

青森市の棟方志功記念館にも禹門はあります。建てられたのは1974年と紹介されています。

いずれも京都の庭園技術者が設計し黄河の流れをイメージした日本庭園の中にひっそりと佇む木製の門です。

禹門は、治水の意味ではなく反映や立身出世の登龍門の意味を込めて建てたものだと植村さんは解説しています。

ふと頭に浮かびました。酒匂川のほとりの大口に禹門があっても良いのではないかと。

大口の禹門には新たな意味を込めたいです。この門をくぐったならば先人の苦難を思い出すことです。

そして一人一人が今現在を生きるうえで社会のために何ができるのかを思い起こすという意味の登龍門です。

立派な門である必要は全くなく狭く小さい門で十分役目は果たせるというかその方が似つかわしいです。

福沢神社の祭礼が300年を迎える2026年の際に禹門の設置を考えても良いのではないでしょうか。

加えて酒匂川の災害の歴史を振り返り今後に備える記念館も建設できればいうことありません。