今こそ竹内好の問いかけを考える

昨日のブログで魯迅の代表作、岩波文庫の『阿Q正伝』について触れました。訳したのは竹内好です。

竹内好は、1977年に死去しました。中国についての評論活動で一世を風靡したカリスマ的研究者した。

私は、大学に入り、第二外国語に中国語をとりました。なぜか中国への関心を持っていました。

友人から竹内好のすごさを聞かされて、読まなければならないと思って買ったのが『現代中国論』です。

竹内好が一番言いたいことのひとつは、日本の近代化がいかに表面的であるかという点です。

日本の文豪夏目漱石が、内発的と外発的に分けて近代化を捉え日本は後者であると論じた視点に似ています。

夏目漱石は、イギリス留学の体験を通じて論考を深めましたが竹内好は中国との対比において論じました。

明治維新を経て日本は欧米の科学技術や文化を取り入れて急速に近代化路線を推し進めました。

20年で憲法や国会といった近代国家の枠組みを整えて日清、日露の戦争を戦い世界の強国に躍り出ました。

わずか半世紀のことです。なぜこのような猛進が可能だったのかについて竹内好は、自分がないからと捉えました。

日本とは何かの意識が乏しく抵抗がありません。新しいものを次々と取り入れて行くには好都合です。

一方中国は、伝統の重みが頑として存在し欧米文化を流入させるのは決して容易ではありません。

近代化の歩みが遅くなるのは当然のことです。常に抵抗があるからです。簡単に衣替えをする日本とは違います。

歩みは遅くても改革はその反面より根源的になります。体制が入れ替わり根本から改められることになります。

竹内好の中国の見方はそうでした。中国の根っこからの改革志向を評価する捉え方は新鮮で衝撃でした。

日本人の根底には、遅れた中国意識がはびこっていて内心軽蔑する最大の根拠となっています。

竹内好はその日本人の持つ優越性に強烈な一石を投じたのです。日本人としては心中穏やかではありません。

竹内好が中国を論じた時代から半世紀以上の時が流れ現代中国は物量経済は日本を凌駕する存在となっています。

竹内好の分析を真摯に受け止めて来たとは思えません。準備は整っていないのに追い越されたのです。

今竹内好を読み直すということは遅ればせながら竹内好の警告に耳を傾け中国とどう向き合うか考えることです。

眠れる獅子が真に目覚め動き出しているという現実を直視することが何より大切だと思います。

竹内好に論に従えば、目覚めた獅子の動きは、中途半端ではなくより根源的で徹底していると見なければなりません。

偉大なる中国の復権の夢は表面的な動きではなく本気の動きだと捉えなければならならないということです。

日本と日本人にとってこれからの進路を考える際に最重要の局面に立たされているのです。

目覚めた獅子の動きは半端ではないのです。日本と日本人も本気で生きざまを考える時代に突入したのです。

竹内好を読み直し、その問いかけの重大性を再認識しました。やっぱり読書は止められません。