私の平成史㊶~教育のまちづくり2低高分離方式への挑戦~
2010年4月開成南小学校が開校するまでの数年間は、学校建設をめぐり波乱続きでした。
原因は、私が突拍子もない構想を打ち上げたことにあります。低学年と高学年分離方式の建設提案でした。
10年以上経過していますので覚えていられない方も多いと思いますが私の中では依然として鮮明です。
それどころか、20年後、30年後、いつの日か実現して欲しいとの思いが募ります。
小学1年生から4年生、あるいは3年生までをもとからある開成小学校に通ってもらうことを考えました。
5、6年生、または4年生から上を高学年小学校として新たに建設する小学校にしようとしました。
こうした方式の方が低学年、高学年双方に適合した特色ある学校教育が展開できると思いました。
低学年が通う小学校は、農村地域に近いですので体験学習重視で思い切って学校から外に出入る授業を充実させます。
高学年は、新しい校舎の建て方を工夫して高度な英語や理科な教育ができると思いました。
明治時代の1883年からずっと一つの小学校でやってきました。低高分離型ならば名前を変える必要はありません。
開成町のまとまりをそのまま維持するのに好都合だとも思いました。新たな挑戦で良いことづくめだと思いました。
しかし保護者からの反発はすごかったです。兄弟姉妹別々の小学校に通わせることの不便さに不満がありました。
当時は、開成小学校のある地域から新小学校のある地域までまっすぐにつなぐ道路ができていませんでした。
自分たちの子供を新たな教育の実験材料にするのかという感情的な反発もあったと思います。
町行政と教育行政は役割が分かれていて、学校を建てたり教育の外的な条件を整えることが町の主な任務です。
今回は、新しい方式の学校建設で教育の中身も大きな変化しますので教育委員会が前面に出てもらいました。
当時の教育長さんも面食らったはずです。町長が言い張っている以上、その線で説得せざるを得ません。
町行政と教育行政の2重構造があり、斬新な教育改革を訴えるには靴の上から足をかくようなもどかしさがありました。
最終的には断念に追い込まれました。教育を変えるというのはとてつもないエネルギーが必要だと痛感しました。
保護者は冒険はしたくありません。ましてや公立の小学校です。普通で良いではないかというのが大勢でした。
2015年4月より総合教育会議という制度が導入されて首長の教育行政に対する発言権が強くなりました。
低学年高学年小学校論争の時にこの制度があれば様相は随分と変化したように思います。
町長が教育方針を決める会議の座長となって方向性を議論できるのですから当時とは大違いです。
町長が保護者に対しても真正面から向き合う場面も設定できたように思います。後の祭りです。
昨日のブログでも申し上げたように教育はまちづくりの根幹をなします。総合教育会議は議論する格好の場です。
首長でこの会議の場を積極的に活用している話はあまり耳にしません。もっともっと活かす必要があると思います。