私の平成史㊻~教育のまちづくり7二宮尊徳~

昨日、二小田原市栢山の宮尊徳の生家に隣接する尊徳記念館で会議がありでかけました。

生家の方に知人がいて生家が落書きされたことを教えてくれました。竹の壁に赤いラインが引かれてました。

どうしてこういうことをするのか落胆しました。郷土の偉人に対し申し訳ない気持ちで悲しくなります。

戦前は、二宮尊徳はスターでした。成人して幕府の役人になった後の尊徳ではなく少年時代の金次郎です。

たきぎを背負って苦難に耐えて頑張る金次郎少年のけなげな姿は小説となり国民の心を捉えました。

政府の方も世のため人のために尽くすシンボルとして修身の教科書に載せその傾向に拍車をかけました。

戦争に敗れ国家に奉仕するイメージとして活用されたことから二宮尊徳への国民的人気は廃れたかにみえました。

しかし少年金次郎の気高いイメージはしぶとく生き残り小・中学校の校庭の片隅で銅像として復活しました。

この傾向は今なお続いていてむしろ道徳教育復活の流れの中で再び強まり出しているように見えます。

私の平成史の教育のまちづくりシリーズの最終回に当たり二宮尊徳を取り上げることにしました。

果たすことのできなかった宿題だからです。開成町の教育に二宮尊徳を活かすことはできませんでした。

町長時代の最後の方でやり始めました。二宮尊徳をまちづくりに活かしている市町村のメンバーに入りました。

まなしに町長を辞めてしまい引き継ぎもできず、新町長は、このグループから脱会してしまいました。

目指したのは二宮尊徳を少年時代の金次郎イメージではなく大人になってからの姿を含めて捉え直すことです。

史実に沿って二宮尊徳の生きざまを教えその思想も含めて現代への教訓を子供たちに伝えることです。

二宮尊徳を聖人君子として偶像にしてはなりません。生身の人間として直視することが基本です。

恵まれた農家に生まれ、洪水と両親の死という困難を知恵と行動力で乗り越えて大人になりました。

成人してから勉強をし直し教養を身に着け、いかにしたらお金が回るのかという経済原理を会得しました。

没落した家を再興させて財産を得て、藩主の命令を受けて農村を立て直す決意を固めました。

栃木県のさびれた農村に赴く際には一切合切の財産を処分し退路を断って農村再興に立ち向かいました。

農民たちは従わず農村再興は苦境に陥りしました。寺で断食修行をして神仏と向き合うことにより危機を脱しました。

「報徳」という実践のための哲学を打ち立てました。道徳と経済をひとつのものとして捉えるというものでした。

緻密な長期計画を立てる、小さな成功実例を積み重ねる、自主性を重んじる、珠玉の教えが詰まってます。

二宮尊徳の人生はそっくりそのまま現代の危機に対処するために必要な要素を全て兼ね備えています。

二宮尊徳は、地球環境の破壊や貧富の格差の拡大をもたらす経済原理主義に待ったをかけるモデルです。

二宮尊徳をもっと教育に活かす必要があります。郷土に住む私たちの責務だと言わざるを得ません。