神奈川県開成町のまちづくり、もはや時代遅れなのか
1日、友人の明治学院大学教授の神門(ごうど)善久さんが開成町に調査に来ました。ドイツ人研究者と一緒でした。
ドイツ人の方は、ハノ・イェンシュという東京にあるドイツ日本研究所で研究員を務めている方でした。
全国的に見て水田を基盤整備して整えたにもかかわらず部分的に開発し虫食い状態にしてしまうことがあります。
開成町は一貫して整備した水田を維持しあじさいの里や古民家の再生に取り組んだと神門さんは評価しています。
我が家でまちづくりのこれまでの歴史を私から、前副町長の小澤均さんが現状と課題を説明しました。
ハノさんから、なぜ開成町は町域を3分割して土地利用をしたのかという質問が飛んできました。
先入観を持たない外国人の視点からの良い質問です。小澤さんも私も即答できませんでした。
小田急線が1927年に開通する前に予定していたルートは、現在の開成町の中央部を通るルートでした。
地域に反対運動があって新松田駅から酒匂川の鉄橋を渡り急カーブで小田原方面に抜けるルートになりました。
その結果、新駅を設置するとしたら小田原市に近い現在の開成駅地点しかなくなったと考えられます。
新駅の候補地周辺を開発エリアに設定すれば、中央部を住宅地域、北部を田園地域とせざるを得ないです。
知恵を絞って町域を3分割したというよりも偶然の産物として確定したプランといえるでしょう。
神門さんとハノさんを山北町の里山の山頂に進出した先端企業トヤマの食堂に案内し足柄平野を一望してもらいました。
復活した瀬戸酒造と瀬戸屋敷を見てもらいました。神門さんは全国の酒蔵の実情に詳しいです。
開成町の瀬戸酒造の取り組みを上手く行った実例だと評価してました。杜氏さんの腕前に感心してました。
最後に開成町役場でまちづくりと農業振興部署の責任者と意見交換をしました。
そこで神門さんがポツリと「町域を3分割する時代は、見直す時期では…」とつぶやきました。
横で聞いていた私はドキッとしました。私自身、思考停止していたことに気づいたからです。
神門さんは開成駅に降りてみると駐車場ばかりで整備が立ち遅れている状況から発想しました。
無理して駅周辺を開発せずに通勤・通学に便利な都市として名を成したらどうかという案でした。
私の考えは、全く異なります。小田原市に次ぐ副中心都市を創る夢を捨ててはならないと思います。
ただし、開成町だけに通用する3分割方式ありきでは周辺の市町との連携をとれないことは事実です。
開成町を超えた大きな視野に立って都市計画の見直しが不可避であるように思いました。
都市計画が確立してから半世紀、堅持してきました。乱開発を防ぎ計画的なまちづくりの羅針盤となりました。
一方、思考停止してしまい柔軟な発想でまちづくりを考える余地を奪ってしまっていた側面があります。
まちづくり方針が確定した1975年当時に立ち戻って開成町のまちづくり方針を再検討する時期に来ました。