千曲川と洪水の歴史

12日は、家の中にほぼ閉じこもりテレビの報道を見ながらで台風19号の動きを見守ってました。

進路は伊豆半島から神奈川へ関東を抜けて東北の三陸沖へという、台風15号とほぼ同様のコースでした。

強風も吹き荒れましたが19号の方は集中豪雨が広範囲にわたり降り注ぎ洪水が相次ぎました。

降り始めからの雨量が箱根町で1000ミリを超えたと伝えられてます。高知県並みだと思いました。

私の住む足柄平野北部にある開成町は、12日夜には風雨は急速に収まり13日は台風一過の晴天でした。

一方外に目をむけるとテレビ画面からは惨憺たる洪水や土砂崩れの様子が目に飛び込んできます。

私は、災害時にはNHKしか見ません。落ち着いたアナウンサーの口調に慣れ親しんでいるからです。

アナウンサーの冷静な語りから使者と行方不明者の数がどんどん増えて行く状況が見えてきました。70人を超えました。

長野市を流れる日本を代表する河川の千曲川の土手が決壊した様子が再三にわたり映像に流れました。

決壊地点は、長沼ということです。「沼」という名前がついていることから低地であることが考えられます。

北陸新幹線の車両基地が水に浸かっている映像はショッキングでした。3分の1の車両が被害を受けたということです。

再び地名が気になりました。車両基地があるところの地名は赤沼と伝えていました。またもや「沼」です。

河川工学の専門家と称される研究者が時々出演してコメントしていました。率直に言って参考にならない話が多いです。

土木工学の研究者の皆さんは分析する専門家です。これから現地を見て詳細な調査の上初めて見解を示します。

パッと画面に映った事象を見ただけで直感でわかり易くものを語るのは苦手な方が多いと思います。

私が見た限り誰一人として地名には言及されていませんでした。災害の歴史と地名は密接なのに残念です。

おひとりの研究者が江戸時代と明治の時に大きな水害が会ったとの過去の歴史を語ってました。

ネットで調べてみると国土交通省の千曲川河川事務所のホームページで洪水の歴史が解説されていました。

1742年8月、1847年7月に大洪水が発生して多数の死者が出ていることがわかりました。

明治元年の1868年5月と明治29年1896年7月にも大きな洪水が発生していました。

また、千曲川は洪水の常襲地帯であることがわかりました。1945年からの戦後でなんと17回です。

4年弱に1回、記録に残るような洪水が千曲川では発生しているのです。この事実を軽じることはできません。

テレビ画面だけ見ていると想定外の大惨事のように見えてしまいがちです。事実は、異なります。

台風による直近の洪水の記録は、2004年10月19日の台風23号によるものです。

被害は、全壊家屋1戸、半壊家屋2戸、床上浸水家屋40戸、床下浸水家屋630戸となってます。

教訓のくみ取り方にも課題があったかどうかについても検証対象としなければならないと思いました。