私の平成史㊽~腕力と地方分権改革~

難しい言葉を使い恐縮ですが、地方分権改革の基本となる考え方に「補完性の原理」があります。

住民に身近なサービスは市町村の基礎自治体が担い、それ以外の部分を広域自治体である都道府県が担うというものです。

更に都道府県でも手に負えない分野を国が担当するという階層になっていることを「補完性の原理」と言います。

基礎自治体重視の立場を原理原則とし、それに相応しい能力を持つことを求めているといえます。

市町村長は、「補完性の原理」が持つ重みを受け止めてこそ地方分権改革の担い手となれます。

2007年4月から2010年3月まで、政府の地方分権改革推進委員会の委員となって全国の市町村を回りました。

おねだりする姿勢では本来の地方分権改革は実現せず、力が必要だという思いを深めた3年間でした。

東海・関東甲信越から東北地方にかけ甚大な被害をもたらした台風19号。町と県とでそごが生じた事態が生じました。

神奈川県山北町で発生した自衛隊への給水車の派遣要請をめぐるいざこざです。最終的には県が謝罪しました。

自衛隊が町の要請を受けて自主的に給水車を派遣し現地に到着していたにもかかわらず県が待ったをかけました。

神奈川県の理屈は、県でも給水車を用意していたので自衛隊に必ずしも依頼しなくても良いとの判断です。

本音は、自衛隊の派遣要請は、本来は県の権限の中にあるのに町が勝手に動いたのでへそを曲げたのだと推測します。

緊急事態においても補完性の原理は基本となる考え方で基礎自治体である町の判断が優先される必要があります。

町の判断が誤っているのであれば、県は町に対し説得力のある理由を示し理解を得なければなりません。

今回の場合は、へ理屈に近いような理屈で自衛隊の給水を結果として止めてしまい住民がとばっちりを受けました。

しかし100パーセント県が悪いと言えるのでしょうか。それは違います。町側にも過ちがあります。

住民への給水が遅れたという事実を招いてしまったという事実から捉え直すことが不可欠です。

なぜ自衛隊の給水車が来ていた時に給水するという結論を出せなかったのかを考える必要があります。

災害対応の最前線にいた湯川裕司町長に意見を述べるのは心苦しいのですが、県当局に厳しく迫ったのか疑問があります。

もし佐藤精一郎元町長ならどうだったか想像してり易いです。ただちに県知事に電話を入れすごんだと思います。

そこで一件落着です。あるいは最初から佐藤さんに恐れをなして県は見て見ぬふりをした可能性もあります。

実際の行政の現場では、こうした力関係は軽視できません。政策決断に影響を及ぼします。緊急事態ならなおさらです。

自らの地域のことは自ら決めるというのであれば、それができるだけの力を身に着けなければなりません。

時には有無を言わせぬ腕力も必要です。それがないと補完性の原理という原理原則は現実になりません。

今回の山北町と神奈川県のいざこざは済んだ話です。両者で胸襟を開いて今後の対応策を詰めて欲しいです。