聖と俗の架け橋

ローマカトリック教会のトップ、フランシスコ教皇が23日来日し、長崎、広島の順に被爆地を訪問しました。

その後、天皇と安倍総理とも会談し26日に日本を離れました。一連の動向が大きく報道されました。

バチカンニュースというネットでも訪問地での様子や発言の内容が詳しく発信されています。

非武装と核廃絶を高らかに訴えました。武器を持っての平和はないと断言されてました。

聖職者らしく武器と愛は両立しないとの趣旨の発言もありました。理想を真正面から語ってました。

力強い言葉が発せられる背景は、信じる人々が存在することです。12億人の信者がいると言われます。

仏教の用語ですが信解(しんげ)という言葉があります。まず信じること。そうして初めて理解できるという意味です。

宗教の強さの源泉だと思います。まず信じることを素直に実践する集団が存在するのですから。

あれやこれやと理屈をこねくり回すのではなく、まずは信じてしまうことはシンプルだけに強いです。

そうした心性を持つ人たちが12億人もいるとなったらその影響力は絶大と言って良いです。

日本の被爆地からフランシスコ教皇が発した核廃絶のメッセージ―は深く響いたことと思います。

教皇が述べていることは、18世紀ドイツのドイツの偉大な哲学者、カントの著書とダブって聞こえます。

『永遠平和のために』です。カントは、永遠平和の条件として常備軍の廃止を訴えました。

当時も今も現実主義者からは夢を見ているようなたわごとに過ぎないと一笑に付されるでしょう。

しかし、カントは本気です。だからこそこの小著が平和の哲学として読み継がれているのだと思います。

フランシスコ教皇も必ず実現できると確信を持って語っているように見えます。発信力が出ます。

しかもフランシスコ教皇には先ほど述べたように信者がついています。哲学者以上に発信力は強力です。

フランシスコ教皇は、現実を超えて理想を語れる宗教家としての役割を余すことなく果たしているように思います。

俗世間そのものにまみれている一般の人間ではできない仕事をしています。宗教家だからこそできるのです。

日本の宗教家たちは、なぜフランシスコ教皇の様な行動をとらないのでしょうか不思議です。

各宗教が平和を希求していることは承知してます。フランシスコ教皇の様な実践の努力が不足しています。

日本最大の宗教団体である創価学会は、宗教界で存在感を示すだけでなく俗世界にも組織を持っています。

公明党です。聖と俗の両面において縦横に動ける陣立てを要していると言って良いでしょう。

しかし現状は平和のために奉仕する集団としての本来の役目を果たしているのか疑問です。

創価学会は、法華経が唱えるところの理想の平和社会を建設するために創設したはずです。

俗世間において実践活動をするために公明党を立党したはずです。両者ともに原点回帰を望みます。

特に創価学会がフランシスコ教皇のように絶対の平和を希求する運動を推進することを期待します。