自宅の事務室の資料を整理していたら2011年元旦号の開成町広報が保管されていました。

頁を開くと「新たな治水への転換点」という題名で町長だった私が新年のあいさつを書いていました。

原稿の締め切りは、前月のはじめですので9年前の師走の今頃に原稿を書くため思案していたはずです。

新年のあいさつにしては相応しくないのではと感じる方がいられると思いますが訳があります。

2010年9月8日の集中豪雨のショックが非常に大きかったのです。このままではいけないという思いでした。

当日の午前中は、開成町は天気は崩れていませんでした。たいしたことはないとたかをくくっていました。

ところが実態は酒匂川の上流に当たる水源地域は猛烈な記録的な豪雨でした。全く情報は入りませんでした。

その内、開成町でも集中豪雨となり時間雨量は74ミリに達しました。河川敷のスポーツ公園は濁流に洗われました。

水源地域の山北町の雨量は一時間当たり147ミリで、静岡県小山町で100ミリを超えました。

両町の降り始めからの雨量は500ミリを超えました。記録的集中豪雨なのに漫然としていた自分が恥ずかしかったです。

水源地域から中下流域の方法伝達に致命的な欠陥がありました。神奈川県と静岡県にまたがっていたのでなおさらです。

河川を管理する両県の責任に転嫁する訳にはいきません。水系の市町の連携もなかったのです。

これは大至急連携をとらなければならないと痛感しました。その思いが新年のあいさつを書かせたのです。

かすみ堤の威力を見せつけた集中豪雨でもありました。開成町と小田原に残るかすみ堤が機能しました。

堤防を人工的に切って2重の堤防構造になっているかすみ堤は大水の時は切れたところから逆流して遊水地となります。

開成町のかすみ堤の中は畑と水田になっています。稲刈り前の稲が水没する深さにまで水は逆流しました。

驚くべきことに稲に全く被害はありませんでした。徐々に水かさが増えて徐々に減っていったからです。

小田原市内のかすみ堤も併せて3か所の遊水機能がなかったならば下流部で土手を超える浸水もありえたと思います。

かすみ堤の効果を検証しなくてはいけないと思いました。想定外のゲリラ豪雨にはかすみ堤は有効だと思ったからです。

1938年の7月の豪雨で開成町のかすみ堤の一角をなす九十間(くじっけん)堤防は切れました。

控え堤防の祖師堂堤防で何とか食い止めました。2011年は、九十間堤防の修堤から70年の節目でした。

ダムや堤防があるからと頼り切っていては安全は保てないと町民に呼びかけて新年のあいさつを締めていました。

現代の技術があれば災害は防ぎきれるのだという思い込みは危険であると警鐘をならしていると言えます。

防ぎきれないとしたら仮に災害が発生しても可能な限り被害を少なくすることへの発想転換が必要です。

「減災」への取り組みです。9年前に執筆したものですが今でも通用するというか今こそ活かす内容だと思います。