私のこれまでの人生で最も大きな影響を受けた政治家は、梶山静六さんと野中広務さんです。

梶山さんも野中さんも既に故人です。ともに内閣官房長官、自民党幹事長を歴任されました。

その影響はあまりに大きくて深く書き尽くすことはできません。政治力の強さで印象に残ったエピソードを書きます。

まず梶山さんです。梶山さんからわたしが薫陶を受けるきっかけとなったのはNHKの政治記者の時でした。

1990年夏に自民党の竹下派担当記者になった頃からです。最初は、距離がありました。

当時の竹下派は、金丸信さん、竹下登さん、小沢一郎さんの3人が絶大な権力を振るっている時でした。

梶山さんにとって不遇でした。持ち合わせている政治的能力の高さからして試練の時期でした。

この時こそ梶山さんお懐に飛び込むチャンスと思って通い詰めました。梶山さんのすごさを直観で感じていたからです。

地頭が良いです。剛腕という一般のイメージとは違います。緻密過ぎるぐらいに緻密に戦術を組み立てます。

出来上がった政治のスケジュールは、工程表と言われました。寸分の狂いもないぐらいでした。

事前に徹底して根回しをしていて表に出て来た時にはすでに完成しているという手際のよさでした。

私は梶山さんに「先生のシナリオは完璧すぎるのが欠点ではないか」と直言したことがあります。

遊びがあってわざと失敗する芸を見せながら流れを創って行ったほうが全体を巻き込めるのではと思ったからです。

梶山さんは「なるほど」と答えてくれました。緻密さが持ち合わせている危うさを自覚していたのかもしれません。

町長になった直後、開成町の消防ポンプ車の更新の話がありました。5台を徐々に替えようとしてました。

私は一括して更新したほうがインパクトもあり防災のまちづくりをアピールできると考えました。

梶山さんは、自治大臣を務め消防行政に強いです。梶山事務所にすぐに連絡し担当幹部を紹介してもらいました。

話はとんとん拍子に進み国からの助成を受けて5台を一括更新することに決まりました。

ここまで来て私は大変なミスをしでかしたことに気づきました。神奈川県の担当部署を飛ばしていました。

県担当部署のトップは、国から派遣されている方でした。このキャリア官僚の面子を潰してしまったのです。

梶山事務所の手引きであっという間に決着がついたのは良かったのですが段取りを飛ばしてしまいました。

へそを曲げられてしまいました。強い政治力の使い方を誤ってしまった失敗例として記憶に残ってます。

梶山さんは、義理人情の人でもありました。1998年私が町長に就任した後、開成町に講演にきていただきました。

開成町福祉会館、立ち見がぎっしりの超満員で500人以上の来場者でした。持ち前の早口でまくしたてました。

最後に自慢ののどを披露されました。歌った歌は、わが郷土の偉人、二宮金次郎の歌でした。

私に頑張れと激励するとともに町民の皆さんによろしくとお願いする愛情が満ち溢れていました。