私の平成史57~実力政治家6~

野中広務さんも最高権力者の座に手を伸ばせば届くところまで上り詰めたことがあります。

2001年4月に森喜朗総理が退陣し次の総理総裁を選ぶことになり野中さんも有力候補者とされました。

連立パートナーの公明党との信頼関係は厚く元委員長の矢野純也さんからラブコールが起こりました。

野中さんは静観していました。私も野中さんは総理総裁ではなく裏方で政局を切り盛りする役目だと思いました。

1955年に保守政党をひとつにまとめた三木武吉さんという政界きっての寝業師がいました。

寝技などと表現すると悪いことをしているような印象を与えがちですが、それは違います。

私利私欲なく身を挺して事に当たらなければ寝技は功を奏しません。野中さんはその役割を果たせる政治家でした。

現在の政治状況は、本来ならば徹底して黒子の役割を果たし泥をかぶることができる政治家がいません。

与野党問わず、みんな僕が僕が、私が私が状況です。泥をかぶるのを避けて目立つことばかりを狙います。

これでは政局を大胆に回すことはできません。野中さんは平気で悪者になり政局を動かしました。

森さんの後釜は、ご存知、小泉純一郎さんです。地方の党員票で圧勝しその勢いで遂に総裁となりました。

小泉さんの得票数は、298票、野中さんが筋を通して担いだ橋本龍太郎さんは、155票と惨敗しました。

私は、野中さんの動きを外野からエールを送り続けました。野中さんの主義主張の一貫性がたまらなく好きでした。

郵政民営化を持論としている小泉さんと真っ向から反対している野中さんは政策的に水と油です。

戦争を体験している世代の野中さんは小泉さんの持つ国家主義的体質とは肌合いが合いません。

権力が欲しいと勢いのある小泉さんと組んでもいつかは分裂することは火を見るより明らかです。

筋を通して欲しいと願いました。野中さんは形成が不利になってもこの姿勢は決して崩しませんでした。

勝負は惨敗となりました。しかし主義主張の一貫性は固く守りました。厳しい選択でしたが政治家として立派です。

小泉ブームが巻き起こり野中さんは権力を失いました。2年後の10月の政界引退の引き金となりました。

総裁選挙の直後に野中さんは開成町に来て講演をしてくれました。総裁選挙の影響が見えました。

開成町の会場は満席でしたが立錐の余地がないというほどではありませんでした。総裁選挙が影を落としてました。

野中さんと盟友的位置にいた参議院のドンの青木幹雄さんは野中さんとは異なる選択をしました。

小泉さんと政策的には相当の隔たりがあっても権力の座を射止めそうな小泉さんに接近しました。

同じ派閥の橋本さんを擁立しているにもかかわらず権力を欲する方向にかじを切ったのです。

野中さんと青木さん、どちらの方が国民の記憶に残っているでしょうか。明らかだと思います。

野中さんは守るべきものは守るという筋を通す迫力を持っていました。今の政治家に欠けてます。