私の平成史59~実力政治家8~
私と菅義偉さんとの関係は、私の神奈川県知事選挙をめぐる対応を境に切れてしまいました。
2011年4月の県知事選挙への出馬は菅さんより打診されました。自民党神奈川県連会長でした。
自民党はその後、現在の知事の黒岩祐治知事擁立へと走りました。私は、県内首長有志の支援で出馬しました。
政党の支持は、黒岩さんは、事実上のオール与党、組合も黒岩さんでした。私はみんなの党一党の推薦でした。
共産党の候補も出馬していましたので完全な劣勢に立たされました。黒岩さんの170万票に対し80万票でした。
菅さんのやり方は梯子に上げておいて外したみたいな格好です。しかし菅さんへの恨みはありません。
神奈川県で面積最小の開成町の町長から900万人の神奈川県のトップになるのはハードルが高いです。
自民党が推してくれるのならば勝てるぞと思ってしまうのも止む得ないところだと思います。
実際はみんなの党だけとなりましたが走り始めて途中で投げ出すようなみっともないことはしたくありませんでした。
支援して下さった首長の有志の方をはじめ多くの皆さんに多大なる迷惑をかけつつ選挙を乗り切りました。
知事選の後、衆議院選挙、参議院選挙と2年3か月の間に3回大きな選挙を戦い全て敗れました。
大半の皆さんは、これを失敗と捉えていると思います。しかし私は異次元の貴重な体験をさせてもらったと思ってます。
町長の座に留まっていればこうした体験はあり得ません。全ては菅さんの県知事選どうかの一言がきっかけでした。
菅さんは、その後自民党が政権に復帰するとともに官房長官の座に座りらつ腕を振るっています。
官房長官の記者会見でよく聞いたフレーズに「粛々と」があります。言葉の持つ印象とは違いすごまれているようです。
菅さんがぎょろりと見回して「粛々と」と語れば大半の記者はビビってしまい言いたいことも言えない雰囲気だと思います。
今や菅さんはポスト安倍総理の一人と目されるまでにその立場を強固なものにしています。
菅さんがここまで昇り詰めるのには現代の日本の政治家を誕生させるシステムの問題が影響していると思います。
菅さんのようにたたき上げの政治家が極端に減り2世、3世の政治家が目立つようになりました。
世襲の政治家にとって菅さんのように全く異質な道のりを歩んできた政治家はキャリア自体が脅威です。
更に加えて梶山静六さんの様な実力政治家の下で権力を繰るやり方を学んできたのですからかないません。
但し、菅さんが総理を目指すとしたら決定的に欠けている側面があります。どのような日本を目指すかが明確でありません。
権力を繰ることが長けているだけでは日本の顔には相応しくありません。国家ビジョンが不可欠です。
菅さんが師と仰ぐ梶山さんは『破壊と創造』という著書を出し国家ビジョンを打ち出し総裁選に臨みました。
菅さんも梶山さんと同様に国家ビジョンを掲げて打って出ることがポスト安倍候補となる最大条件だと思います。