中国との向き合い方を転換

私にとって中国という国はひとつの水の流れのように幼いころからずっと向き合い続けている存在です。

私は、父親から旧満州(現在の中国東北3省)の国境付近での日本軍と旧ソビエト軍の戦いを聞かされて育ちました。

旧満州の広大な大地をイメージできるほど刷り込まれました。シベリア強制抑留という言葉も随分と早く耳にしました。

大学に入り第2外国語を選ぶとき迷わず中国語を選びました。中国についてさらに見聞を広めるきっかけになりました。

NHKに就職して2年目の5月に結婚して新婚旅行に選んだのは中国でした。北京と上海と蘇州を回りました。

摩天楼が立ち並ぶ現代中国とは似ても似つかないほどの貧しい中国の姿を目の当たりにしました。

政治記者として要人に同行して中国を訪問しました。竹下登さん、小渕恵三さん、塚本三郎さん、大内啓伍さんです。

開成町長になった後も神奈川県と中国・遼寧省の姉妹友好都市行事の関係で2回中国を訪問してます。

町長を退いた後は、民間の日中交流団体の代表として中国を2回訪問しました。河南省に初めて足を踏み入れました。

わが地域を流れる酒匂川の治水の要衝にある神社の祭神は治水に功績があったとされる中国の伝説の皇帝禹王です。

この歴史の探求から禹王の故郷である河南省を訪問しようということになり現地の郷土史家と交流が出来ました。

2015年5月には東アジア文化交渉学会という国際学会を開成町と協力して誘致することができました。

いち早く中国へ企業進出し成功を収めて民間企業音頭取りで浙江省寧波市に昨年3月訪問する機会に恵まれました。

中国において二宮尊徳の道徳と経済は一体のものであるという考え方に注目が集まり国際二宮尊徳思想学会ができました。

昨年の10月中国山東省曲阜で学会があり参加しました。曲阜は『論語』で知られる孔子の生まれ故郷です。

大げさに言うと幼いころから中国一色のような印象を与えてしまうほど中国と様々な関わり合いがありました。

ところが最近は中国との交流に熱が入りません。私が願っていた中国の姿とは異なった方向には邁進しているからです。

習近平主席の中国となって明らかに中国はその姿を変えました。偉大なる中華民族の夢の実現を前面に出しました。

気味が悪いです。その気味の悪さを目に見える形で世界に示したのが今年の香港の民衆の抵抗運動です。

中国政府の意向を受けて香港当局が弾圧しても民衆の抵抗は弱まることなく区議会議員選挙で圧勝しました。

しかし当局はこの結果を尊重するどころか弾圧の姿勢は微動だにしてません。本国の後ろ盾があるからです。

誠に厄介な国として強大化しようとしています。日中友好という言葉が空しく私には感じられます。

私は、中国との付き合い方を変えます。禹王をはじめ日本の足元に存在する中国の歴史を紹介する活動程度にとどめます。

強大化し強権化するような国と友好などとのんきなことばかり言って良いのだろうかという疑念が消えないからです。

 

 

 

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