立民と国民の合流話にときめきがないのはなぜか

昨年末から立憲民主党と国民民主党の合流話が進行してます。両党のナンバー2の会合では合意寸前の雰囲気でした。

合流する雰囲気醸成の演技なのかどうかはわかりませんが、国民のおおかたは白けたままではないでしょうか。

この合流で安倍一強時代という政治が変革するうねりが起こりそうだとの期待感が全くありません。

それなのに合流を目指す側は安倍政権に代わる受け皿を作るとか大風呂敷を広げますのでギャップが激しいです。

なぜ両党の合流はこれほど期待感が乏しいのでしょうか。それは労働組合という狭い世界の都合に過ぎないからです。

最大の労働組合組織、連合にとって支持する政党が二手に分かれていては選挙がやりにくいです。

昨年の統一地方選挙や参議院選挙で懲りたので今年秋にも予想される衆議院選挙は勘弁してくれということです。

政権交代の受け皿という高い理想とは全く異なる低次元の話しなのです。この本音がみえみえなのでときめきません。

選挙互助会の再結成といったほうがストレートでわかり易いです。何度となく繰り返された離合集散劇です。

本気で政権の受け皿というのならば基本政策を一致させなければなりません。しかし不可能です。

電力会社傘下の労働組合が原発ゼロを認めるわけがないからです。労働組合は親方があってのものだねです。

親分に逆らうことなどありません。労働組合全体で原発ゼロの合意など手品の世界の話しです。

これで政権交代の受け皿になると考える人がいたらよほど労働組合を基盤とする政党に甘い考え方の持ち主です。

これまで政権交代を成し遂げた事例を考えてみればすぐわかります。1993年、2009年の夏のできごとです。

1993年は、細川連立政権、2009年は鳩山民主党政権が誕生しました。仕掛けたのは小沢一郎さんです。

顔となった細川さんは、元熊本県知事。鳩山さんは元自民党です。労働組合の後押しで政治家になった方々ではありません。

労働組合系の政治家が日本の政治の歯車を回したということは戦後直後はいざ知らず日本の政治史にありません。

根本的な欠陥を持っているからです。労働組合と労働組合の存在基盤である本社とは一心同体だからです。

どんなに実力のある労働組合系の政治家であっても最終的には本社の意向には逆らえないでしょう。

トヨタ労組出身の政治家がトヨタが押し進める政策に敢然と反対できるでしょうか。できません。

労働組合系の政治家は自由自在には動けません。基本的には自民党と共同歩調を保つ姿勢です。

自治労や教職員労組のように戦う労組もあるではないかと言われるかもしれませんがかつての闘争心は見えません。

結果として労働組合系の政党は真に戦うことができない状況に追い込まれてしまっているのが実態です。

こうした実態を包み隠して言葉だけで安倍政権にとって代わるなどと言っても絵空事に過ぎません。

日本の政治の現状を変革したいのであれば、自民党の中からかあるいは公明党の路線転換かどちらかということになります。

 

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