ボランティア活動について

身体の調子が戻ってくると不思議なことに生活習慣も徐々に元のスタイルになってきます。

早く目が覚めるようになりました。かつてのように4時起きとかはありませんが6時前には起床となりました。

今日も5時半過ぎに目が覚めてすぐに起きて着替えました。体調が悪い時はこの流れが全くできませんでした。

起きて着替えるという当たり前だと思っていたことは、実はそうではなく体調のバロメーターだったのです。

着替えた後テレビスイッチを付けて、あー!、そうだ。今日は阪神・淡路大震災が発生した日だと思い出しました。

発生した5時46分の直前にテレビをつけたので黙とうに間に合いました。居住まいを正し黙とうしました。

もう4半世紀が過ぎたんだという感慨に捕らわれました。25年前に観た景色が鮮烈に蘇りました。

1979年8月に私はNHK神戸放送局に新人記者として赴任しました。意気揚々と神戸という街に足を踏み入れました。

いきなり宝塚で誘拐事件が発生したり事件も多かったです。取材に跳び回った若き日々でした。

神戸市東灘区岡本という閑静な住宅街のアパートで一人住まいをしました。この後宝塚に転居しました。

更に阪神甲子園球場のある公団アパートに入ることができまたまた引っ越しをしました。

1995年1月17日午前5時46分に発生した直下型の地震は私の思い出の地を破壊しました。

発生から2か月後現地を訪れた私は一番最初に住んだ東灘区が全く住宅が無くなっていた光景を目にしました。

電車は不通でしたのでバスで神戸の中心部に向かいました。バスの乗客に誰氏取り笑顔はありませんでした。

私も驚きの光景を目にして表情が固まってしまいました。笑いのない灰色の世界が神戸を覆っていました。

おしゃれで、住んでいること自体がちょっぴり自慢したくなるようなキラキラした神戸はどこにもありませんでした。

そんな中、光が差し込んでいるような場所があちこちに観られました。ボランティアの活動拠点でした。

阪神・淡路大震災は、ボランティア元年と言われました。確かにその通りだと思いました。

若い学生が目につきました。誰に指図されることもなくきびきびと楽しく動き回っていた印象があります。

ボランティアを支えていてのは、自発性だと思います。誰かに強制されたのではなく自ら動き出したことです。

自発性は、第三者から見て美しさを感じさせます。大袈裟にいえば神々しいということになるのでしょうか。

ここにボランティア活動の原点があると思います。純粋な自発性こそが最も大切な精神です。

逆にいえばこの精神を忘れてしまったボランティア活動は神々しさを失い、曇ってきてしまいます。

活動が停滞しているなと感じたら原点回帰して何のために行っているのか見つめ直すことが大切です。

良いことやっているんだからという独りよがりな態度は通用しません。純粋でなければなりません。

そして自主性重視です。まるで支配者のようにボランティア活動を繰ってしまったら光は完全に消えます。