私には、中村哲さんと中国の文豪魯迅がダブって見えます。医者から人生を始め別の道に進み偉業を為したからです。

魯迅は、厳密に言えば医者ではなく医者の卵でした。1904年日本の仙台の医学専門学校に通いました。

幻燈事件という出来事がきっかけになり医者への道を断念し作家になるために中国に帰国しました。

魯迅が日本に留学していたのは、20世紀初頭、日本が大国ロシアと戦争していた日露戦争の時期と重なります。

学生たちは、”幻燈”、今でいえばプロジェクターとパソコンを使って記録映像を見るのが常でした。

その中でロシアのスパイを働いた中国人が日本軍によって処刑される場面が出てきました。

首を切られる様子を見ようと中国人の男たちで埋まりました。若き魯迅は、中国人の表情に衝撃を受けたのです。

体格は良くても傍観者のように無表情でした。中国人の精神は病んでいると魯迅には受け止められたのです。

中国人の精神を改造しなくてはならないと決心しました。魯迅は、文芸を通じて改造を試みました。

魯迅は、『阿Q正伝』、『狂人日記』らの数々の作品を世に遺し、中国人の病んだ精神を変革しようとしたのです。

中村哲さんは、魯迅とは違って正真正銘の医者です。九州大学医学部を卒業し福岡県内の病院で勤務してました。

中村さんとの共著を書いた澤地久枝さんが文芸春秋に掲載した追悼文によると1982年が転機となったということです。

中村さんにアフガニスタンとの国境に近いパキスタンのペシャワール赴任の依頼が来ました。

キリスト教海外医療協会からでした。中村さんは、ミッション系の中学校出身で洗礼も受けていました。

家族そろってペシャワールに移った中村さんは、薬品不足の劣悪な環境の中で医療活動に従事しました。

ミレニアムの年、2000年のころから中村さんは、医療活動に限界を感じ始めたというのです。

安心して飲める水がない、食べる食料がないという現実を前に医療は為す術がなかったからです。

中村さんは井戸や用水路の建設に舵を切りました。独学で土木工学を学んだというのですから驚きです。

魯迅は、医者の道から文芸へ、中村さんは、医者から井戸と水路の建設者へと道を変えたことになります。

2人に共通するのは何のためにこの世に生を受けたのかという人生の目的を見据えて逃げない姿勢です。

その上で単に思うだけでなく実際に実践したというところにとてつもないすごみがあります。

評論だけならば多少才があれば誰でもできます。しかし実際にやるとなるとそうはいきません。

医者の道から全く異次元の世界へと転じ実績を残した2人の偉人に深く首を垂れざるを得ません。

特に中村さんは殺害されてこの世を去りました。余りに劇的な生涯の閉じ方でしかも日本人です。

爪の垢でも煎じて飲ませていただき中村さんの根本精神の注入をしなければならないとの思いに駆られます。

中村さんの使命感に貫かれた生き様を辿ることは、全ての日本人にとって最良の”修身”だと私は確信します。