日本全国に20ある政令指定都市のなかで最も勢いのある都市と言えば川崎市の名前を誰しも上げるでしょう。

政令指定都市とは道府県とほぼ同等の権限を持つ大都市のことです。横浜市、大阪市、名古屋市みなそうです。

かつては京浜臨海工業地帯の産業都市として名を成していた川崎市は、今はそのイメージを一変させています。

昨晩、川崎駅前のホテルで前川崎市長の阿部孝夫さんの叙勲祝賀会が開かれました。大盛況でした。

旧自治省出身の阿部さんにとって大先輩にあたる元内閣官房副長官の石原信雄さんが見えられてました。

石原さんと言えば歴代7つの内閣の官房副長官を務めた官僚の中の官僚、特に地方自治の象徴のような方です。

93歳ですがはっきりとした語り口調で阿部さんの功績を讃えてました。都市行政の鏡だと述べてました。

石原さんは阿部さんとの思い出を話す中で阿部さんが3期12年で任期を区切ったことを語ってました。

2001年に川崎市長に当選した阿部さんは条例を提出し自らの任期を3期12年としたのです。

阿部さんは市民と議会に約束しただけではありません。本当にその公約を実行し2013年市長の座から降りました。

昨今、任期を区切る公約をしながらその約束を反故にして地位にとどまる事例も散見されます。

阿部さんの哲学は真逆であるとともに実際に実行したということは後世に残る大きな業績です。

もうひとつ阿部さんの金字塔があります。今日の川崎市の隆盛の礎を造ったことです。

阿部さんの業績を紹介するビデオが会場に映し出されました。阿部さんがインタビューに答えてました。

最初市長に就任した時は財政が厳しくて何も手を出さなかったので思い切って3年間新規事業ゼロとしたということです。

この決断が功を奏し財政事業は好転し阿部市政は川崎市のイメージの刷新に力を注ぐことができました。

音楽や文化に力を入れてコンサートホールの開設などのおよそ川崎らしくない事業を進めました。

公害のイメージの強かった臨海部の工業地帯は環境や生命科学産業の集積を進め時代の最先端を走りました。

記念品として入っていた阿部さんの新著のタイトルは「灰色のまち」から「音楽のまち」へでした。

2011年4月の神奈川県知事選挙の際に阿部さんは私を熱烈支援してくれた首長有志のリーダーでした。

大都市の川崎市のトップが神奈川県で面積がいちばん小さな町の町長を県知事にしようと応援してくれたのです。

大都市部には全く知名度がなかった私にとっては大変に心強かったです。感謝あるのみです。

確か選挙初日の夕方、阿部さんが川崎駅前で応援演説をするため私の街宣車の到着を待ってくれていました。

ところが選挙の7つ道具を忘れてしまい街頭での演説会が出来なくなり阿部さんに平謝りしたこともありました。

阿部さんは福島県の出身で田舎を知っています。自治省時代も地方都市の勤務を経験してます。

地方を大切にする皮膚感覚がありました。大都市のトップにとって不可欠な要素ではないかと思います。