老境でもはつらつして生きる人生の送り方
2か月に一度の新しい道の勉強会が12日にありました。都合がつかない人が多くて参加人数は6人でした。
講師の杉田廣善さんは、人数なんて全く気にせず、こういった時の方が良い話ができるのですと言われました。
実際、その通りでした。杉田さんを囲むような形で話が出来ましたので語り合うという雰囲気でした。
杉田さんは90歳です。いつも肌がつやつやしています。足は多少悪いですがそのほかは全くお元気です。
ご自身も血液検査などで悪いところはないと言ってました。医者も驚いているということです。
奥様をなくしひとり暮らしです。畑を借りていて野菜も作り、食事は、自分で作るというのですから驚きです。
理想の人生であるピンピンコロリ人生をまっしぐらに歩んでいる感じです。秘訣は何かを知りたいものです。
今回の講話でそのヒントがありました。日々の生き方に重大な手がかりがあるように思いました。
杉田さんは、35歳の時に絶対の師と仰ぐ松木草垣(そうえん)女史と出会いました。その教えを追いかけ続けました。
松木女史が唱えるみたま様と呼ぶ魂に向き合った生き方は何かを55年間も問い続けてきました。
講話の中で杉田さんは、自分の「自」の字をどう読むかと語りかけました。「みずから」と「おのずと」があります。
「みずから」は、自分で、自分の意思でという意味です。自我というか自分自身を前面に出したものです。
「おのずから」は、自然に何かが動く意味です。自分へのこだわりは全く見られません。
杉田さんは後者の生き方を追求したのだと思います。「みずから」は、いわゆるエゴにつながります。
自分の欲望にかられて自分が、自分がという風になってしまいます。緊張を強いられます。
「おのずから」は、エゴから発する欲望を超えた時に自分を取り巻く事象が動く作用と言って良いのではないでしょうか。
自分で無理やりということは全くありませんので力は抜けています。結果として疲れません。
新しい道の教えは、自然体の「おのずから」の生き方の実践といっても良いと思います。
エゴを消して魂(みたま様)と一体になって生きることができれば、「おのずから」の状態になれるというのです。
杉田さんは、この生き方を徐々に体得し積み重ねてきたのだと思います。その結果が元気さです。
新しい道の教えが傾聴に値するのは、はつらつとしている杉田さんの存在そのものに理由があります。
杉田さんは、難しい顔をして理屈を述べることはありません。「おのずから」出てくる言葉を話している感じです。
聴いていて肩が凝りません。すっと入ってくる感じです。同じことを何度聴いても新たな発見があります。
杉田さんは漆塗りに例えて本当に大切なことは何度も聞いて納得しなければならないと言われます。
漆は10回は塗ってつやを出すのだといいます。真理の会得も同じことで繰り返し聴くことが大切です。
杉田さんは、「人生は捨てたもんじゃない」と言われます。はつらつさを余すことなく表現しています。