私の平成史56~知事選・衆院選・参院選1~

2011年3月から2013年7月まで3つの大きな選挙に追われた日々を過ごしました。

東日本大震災が発生した2011年4月の県知事選挙に無所属、みんなの党の推薦で出馬し落選しました。

2012年12月の衆議院選挙に神奈川県第17区から日本未来の党の公認で出馬し落選しました。

2013年7月の参議院選挙にみどりの風の公認で出馬し落選しました。3連敗を喫したことになります。

3回大きな選挙で負け続けると生活も含めてきつい状況になりました。特に妻の精神的な苦労は大きかったです。

しかし、私はというと落ち込むというより、こうした大苦境をどう乗り越えるかに気持ちは集中していました。

断じて後ろ指をさされる人生は送らないと誓いました。試練だと受け止め意外に落ち着いてました。

落選は確かに大変な出来事ではありますが自分のいたらなさを認識できる絶好の機会でもあります。

いささか言い訳時見て聞こえるかもしれませんが落選によって人間の幅が広がることもあり得ます。

落選した後の過ごし方で器が大きくなることもあります。何とかなるさと開き直ってました。

県知事選、衆院選、参院選と立て続けに別々の選挙に出馬しましたが目的は異なっていません。

故郷開成町が位置する神奈川県西部地域の振興を土台にまちづくりを展開し日本のモデルとしようとしました。

”町を興し国を創る”という考え方にどっぷりつかってました。この考え方を貫く政治家になろうとしていました。

県知事になれれば直接この仕事に携われて一番良いです。しかしその夢はかないませんでした。

川崎市の阿部市長、海老名市の内野市町、大井町の間宮町長、箱根町の山口町長ら首長の支援を受けての戦いでした。

市町村長有志らの下からの支援で県知事の座を射止めることができれば史上初めての画期的な出来事でした。

私の力不足で首長有志の皆さんの希望を実現できなかったのは今考えてもとても残念でなりません。

落下傘のような形で地方政治を展開するのとは180度違った地域密着の県政ができたはずです。

私自身が神奈川県でいちばん面積の小さな町で町長を経験してます。地方自治の最前線の現場を知ってます。

支援してくれた首長らもみな同じです。そうした皆さんと連合を組んだ県政は革命的な変化をもたらしたはずです。

しかし現実はそう簡単には行きませんでした。政党という大きな壁が立ちはだかりました。

知事選に当選した現在の黒岩知事には自民党をはじめオール与党体制がバックアップしていました。

わが方はみんなの党の推薦だけで多勢に無勢に近い状態でした。戦う以前に勝負あったという圧力がありました。

それと人口900万人の県民を相手にする選挙です。知名度がなければ話にならないというのが実態でした。

私にやらせてくれれば理想の県政を実現できると言ったところであなたは誰と言われてしまえばそれでおしまいです。

県知事選挙への挑戦は政党の看板と組織が備わらなければ戦いにならないということを痛感した選挙でもありました。