私の平成史59~知事選・衆院選・参院選4~

神奈川県知事選挙が終わってから早い段階で衆議院選挙への出馬を目論んでいたのは偽らざるところです。

県知事選挙で敗れたとはいえ地元である神奈川県西部地域では圧勝していたので可能性があると踏んだのです。

地元開成町の得票率は89パーセントに達しました。、山北町、大井町で79パーセント。

南足柄市、松田町で75パーセント、中井町で70パーセント。小田原市で57パーセント。

真鶴町58パーセント、箱根町55パーセント、湯河原町52パーセント、秦野市46パーセントでした。

県知事選挙の得票を衆議院の選挙区で見てみれば第17区においては旋風が吹いたのです。

図に乗ってしまいました。県知事選挙は地方選挙、衆議院選挙は国政選挙、次元が異なることを見落としました。

国政選挙は、政党が前面に出ます。組織も資金力も不可欠です。こうした冷徹な事実を読み取ることが出来ませんでした。

知名度は十分だし、私個人の力で政党の格差を乗り越えられると思い込んでいました。完全に私のおごりでした。

2012年12月16日に行われた衆議院選挙の結果を見れば私の総括が納得できるはずです。

牧島かれん98019 井上義之54337 神山洋介46654 露木順一44013です。

私は、自民党の牧島さんの半分にも届きませんでした。県知事選挙の時の得票はどこかに吹っ飛んでしまいました。

この時の選挙は民主党に大逆風が吹いていた時です。自民党が政権復帰を果たし第2次安倍政権が誕生しました。

民主党の神山さんは最初から苦戦が予想されていて牧島さんとみんなの党の井上さんとの戦いだったはずです。

結果は4人の中で最下位でした。目論見は木っ端みじんと言って良いです。応援して下さった皆さんに申し訳ないです。

牧島さんや井上さんがコツコツと努力し一票一票、積み重ねていた努力を軽く見ていました。

牧島さんは、小さな地域のお祭りにもこまめに顔を出してました。井上さんの朝の駅頭のあいさつは語り草になってました。

地域密着で町をつくって成果を上げ、県知事選挙でも多数の支持を得たという自信が過剰でした。

若い皆さん方の方がはるかに努力を重ねていたのです。有権者がその姿を見逃すはずはありません。

ただし、私の出馬に唯一正当性が見いだせるとしたら、その主張のユニークさだと思います。

私は小選挙区時代の衆議院議員像を有権者に訴えたのです。地域を熟知している政治家を送り出して欲しいと。

心の中で目指したのは、野中広務さんです。町長などを務め50代後半で国政に転じ、国家を仕切るまでになった方です。

小選挙区で選挙区の範囲が大幅に狭まりました。衆議院議員は選挙区内の首長との徹底した連携が必要だと思いました。

首長を束ね側面から強力に支援する隊長みたいなものです。それで地域を創って行こうと呼びかけたのです。

響きませんでした。選挙は勝たないとどうしょうもありません。応援して下さった方々に合わす顔がありませんでした。