中村哲さんと治水神禹王

昨年12月4日にアフガニスタンで武装勢力に襲撃され命を落とした医師中村哲さんは中国の治水神禹王を意識してました。

22日の足柄の歴史再発見クラブの定例会で『新編富士山と酒匂川』と現代の治水について私なりの見解を述べました。

最後に中村さんのことを触れました。中村さんが江戸時代の治水技術をアフガニスタンで応用していたからです。

1707年の富士山の噴火後、神奈川県西部を流れる酒匂川の治水工事に多大な功績があった田中丘隅は蛇篭を活用しました。

江戸時代はコンクリートはありません。竹かごを編んで石を詰めて堤防を守りました。最先端の治水技術でした。

中村さんは、このいわばローテクをアフガニスタンで用水路建設に活用しました。アフガニスタン用にアレンジしてです。

竹の代わりに鉄の網を使い中にはレンガのような長方形の石を積み上げて擁壁としたのです。

中村さんは医師の傍ら上で苦しむ民衆を救うには灌漑で大地を潤す必要があると独学で治水技術を学びました。

しかし近代的な技術を使える環境にないアフガニスタンでは近代技術は絵に描いた餅に過ぎません。

目を付けたのが江戸時代の技術だったのです。生まれ故郷の福岡県朝倉市の農業用水にヒントを得たとのことです。

1790年に古賀百工という地元の庄屋が切り開いた農業用水で現在も使われているということです。

醸造メーカーミツカンには「ミツカン水の文化センター」という調査機関があり「水の文化」という会報を発行しています。

充実した機関紙です。最新号に「アフガニスタンの大地に命の水をー中村哲の河川哲学に学ぶ」という記事がありました。

筆者は元水資源開発公団に勤務されていて治水に関する膨大な図書を収集されている古賀邦雄さんです。

中村さんと同じ福岡県の出身で筑後川の流域に住んでいられるので中村さんに関心を持ち続けていられたのでしょう。

古賀さんは中村さんが斜めに石積みをした地元の農業用水にヒントを得て用水路建設を進めた経緯を丹念に追いかけてます。

最後に中村さんが設立されたアフガニスタンを支援するペシャワール会の会報について紹介してます。

第140号に中国の治水神禹王について触れているというのです。クリスチャンの中村さんが禹王とは驚きました。

ネットで調べてみると中村さんは講師の言行録の『論語』の中で禹王に触れている個所を引用しているとのことです。

禹王は、中国の大河黄河の治水に13年にわたる困難を乗り越えて成功した人物としても知られています。

儒教を創設した中国の聖者孔子は、私利私欲のない禹王の姿勢を非の打ち所がないと高く評価してます。

中村さんは、治水に精魂を傾け皇帝になった後も清貧さで貫き通したとされる禹王の姿を自らに重ねたように思えてなりません。

古賀さんは中村さんの生き様を禹王と故郷の農業用水を切り開いた古賀百工のふたりを通して紹介してます。

注;アフガニスタンの水路建設の写真はペシャワール会の会報より