コロナウィルス危機と政治家
感染拡大の勢いが止まらないコロナウィルス。安倍総理大臣がついに記者会見をして国民に協力を求めました。
国会の予算委員会で顔が見えないとの指摘にむきになって政府の対策会議の中で発信していると強弁してました。
安倍総理はこのスタイルを絶対に崩したくなかったのでしょう。小中高の一斉休講要請も対策会議の席上でした。
安倍総理の意地だと感じました。何といわれようとも野党が求めるようなやり方はしないということです。
しかし、地方自治体や国民からの反発や戸惑いが安倍総理の予想を超えて大きかったのだと思います。
記者会見して直接国民に呼びかける結論に達したのだと私は思います。しかし、これは順番が違ってます。
異例中の異例の要請をするのですから先に記者会見をして国民に心の底から協力要請するのが先です。
その後で政府の対策会議を開いて具体策の検討を期限を区切って指示し走るのが本来の手順です。
国民の生命を守るという公的な使命に全てを賭けるのか、それとも自らの意地にこだわるのかの選択を間違えました。
公的に使命に殉じようという強い意思があれば、最初に記者会見をして誠心誠意国民に呼び掛けようとしたはずです。
後手に回った形の記者会見でしたので安倍総理の気持ちが中途半端にしか伝わらなかったと言えると思います。
コロナウィルスという正体不明の相手との対応です。専門家とて確たることは判断できません。
素人である政治家の出番です。精神論と言われようとも総理自ら前面に出て国民への心からの協力要請は必須でした。
ボタンを掛け違えてしまったと思います。今後の感染状況の次第では反発が強まる恐れがあります。
北海道での感染拡大が目立ちます。鈴木北海道知事は最初から前面に出て道民に呼び掛け続けています。
若い知事の意欲は十二分に理解できますが気になる点があります。自らの存在感を意識し過ぎていないかという点です。
北海道をコロナウィルス対応のモデルにしたいと述べていました。「モデル」という言葉が気にかかりました。
道民ひとりひとりの生命にかかわる問題であることはいうまでもありません。実験室のような表現には違和感があります。
上から目線からの発言だと感じてしまいました。全国のお手本となって目立つことが目標とも受け取れてしまいます。
「モデル」という表現の背後には、目立とうという私利私欲が潜んでいるように私には思えます。
コロナウィルス対応は前例はありません。暗中模索の中で正しい方向を見い出しつつ進むしかありません。
リーダーたる政治家は、私利私欲を徹底して排除することが何より求められます。誠心誠意取り組むしかありません。
本人の意地とか目立ちたいとかの私利私欲が紛れ込んでしまうと言動に純粋さが無くなり説得力が弱まります。
西郷隆盛が政治家の心得のいのいちばんに挙げていたのは執務室に入ったのであれば私をさしはさむなということです。
コロナウィルス対応に直面している政治家全ての方が胸に刻み対応して欲しいと願ってやみません。