私の平成史63~時代を創ろう1~

私は性分として平穏無事に安住しているのができないタイプです。常に課題を見つけて動きたがり屋です。

良い面もありますが悪い面もたくさんあります。良い面は積極果敢な行動をとれるところです。

悪い面は行動が早すぎます。常にあつれきが生じてしまいます。じっくりとというのができません。

直観でこうすべきだと閃くとあと先のことを考えずに決心して行動に移ってしまいます。

その後でまずいかもしれないと心が揺れるのですがその時はすでに引き戻すことが出来なくなっています。

こういった性分だからこそ社会的に存在感もあり安定した職場のNHKをさっと辞めることができたのだと思います。

1993年8月NHKの看板をしょって花形職場の政治部の自民党担当で肩で風切っていた時期に職場を去りました。

こんなことをするためにNHKに入ったのではないという思いが我慢できないレベルにまで強まってしまいました。

自分でやってもいないのに偉そうに評論してそれでいて評価されるのは性分に合わないと思い込みました。

政治家になろうというのは後から付けた理屈です。最初は、とにかく飛び出したいという一心でした。

どうしょうもなく穢れた垢が身体中に取りついてしまったような感じがしてきて浄化しなければと思いました。

純粋な良心が心の奥底に残っていてくれてそれが目覚めたような感じです。このままではいけないと思いました。

もっと世のため人のために働いて自分で納得する人生を送らなければ生まれてきた意味もないというほどでした。

ただNHKを辞めるというのでは話になりませんのでこの際政治家を志そうという物語を創りました。

どうせ創作するのならば突拍子もないドラマにしたほうが良いだろうと考えたわけです。

その結果、衆議院選挙にいきなり挑戦するというシナリオになりました。徒手空拳での挑戦です。

まともに考えたらできません。多くの方は気が狂ったのではないかと思われたと想像してます。

相手は当時の自民党総裁の河野洋平さんに照準を絞りました。通常ならば足がすくむのが当然です。

ところが私の発想は違います。相手がでかいからこそ挑戦するのであってちまちましたことはしたくありませんでした。

相手がでかければ自分を大きく見せることもできると考えました。実際にそのように振る舞いました。

1996年10月の総選挙は、衆議院に小選挙区制度が挿入された最初の選挙でした。

政治家としての最初のデビュー戦としては願ってもない舞台でした。頭の中は、夢を見ていました。

キャッチフレーズは、時代を創ろうでした。全く新しい価値観で一緒に時代を創造していくことを夢ました。

振り返ってみると完全に酔っていました。酔っぱらっていたから困難を超えて進んでいけたのだと思います。

選挙に敗れ酔いから完全に冷めるかと思いきや時代を創ろうという夢はふつふつと生き続けたのです。

その結果が開成町長としてのまちづくりの挑戦へと具現化して成果を上げることができたのです。夢の効果です。

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