私の平成史64~時代を創ろう2~

私の平成史において唯一腰を据えて仕事に取り組むことができた時期は開成町長の13年間でした。

それでも実態は変化の連続でした。というより自ら変化を求め続けたと言ったほうが正確です。

開成町の場合は土台づくりは確固たるものがありました。土地利用計画が確立していたからです。

私が町長に就任した1998年2月は、バブル経済の痛手が残る失われた10年の中にありました。

確固たる土地利用計画は、経済不況の中で真価を発揮しました。整然としたまちづくりを可能にしました。

バブル経済が崩壊して土地の価格が下落したことで逆に若い世代でも手が出せる住宅開発が可能となりました。

バブルに踊らずに長期展望に立って計画的なまちづくりを目指してきた理想がチャンスを与えてくれました。

町長就任後は、まるでバブルの時期であるかのように矢継ぎ早に開発計画を具現化していきました。

日本全国の傾向と真逆の対応ができる環境に開成町はあったのです。先人たちに感謝をしなければなりません。

まちづくりを進めるにあたり最も留意した姿勢はイノベーションです。日本語にすれば創新です。

20世紀を代表する経済学者のシュンペーターが経済発展のために不可欠として提唱した考え方です。

私はこれをまちづくりに応用しました。シュンペーターはイノベーションとは「新結合」だと言っています。

手品のように無から有を生むのではなく、地域の資源と資源を組み合わせて新たな発信をすることから始めるのです。

それとシュンペーターは、常に新しいものを生み出すため挑戦し続ける企業家こそが原動力とも言いました。

シュンペーターの言葉に私は奮い立ちました。自らまちづくりの企業家となって新たな挑戦をしようと思いました。

今や開成町のシンボルとなったあじさいを徹底的に売り込むために視点を変えて東京に照準を絞りました。

かつて勤務したNHKのスタジオパークをあじさい一色に染めてキャンペーンを張ったこともあります。

視聴率の高い天気予報の際にキャスターの脇に開成町のあじさいを飾ってもらったこともあります。

大都市部からの集客を目指しての新たな挑戦でした。NHKの放送は絶大な効果がありました。

古いものと新しいものとを組み合わせると何かが生まれるのではないかということで古民家の再生に取り組みました。

シュンペーターが言うこところの新結合そのものです。古いものを飾り物とするのではなく今に活かすのです。

かやぶき屋根の古民家は、古い文化財として眺めるのではなく観光資源として活用する施設としました。

イノベーションそのものの具現化も図りました。富士フイルムの先進研究所の誘致がそれにあたります。

世界的大企業がイノベーションをするための挑戦をしていたことに開成町が応えようとしたのです。

その結果開成町自身がイノベーションの町であることを表現したいと考えて実現までこぎつけました。

イノベーションには終わりはありません。常に変化しなければなりません。安住したとたんに停滞が始まります。