私は、大学が教育学部でしたので教育に関心があります。大学の卒業論文をまちづくりに活かしました。

このことはすでに何度も触れてきました。でもまさか卒論がまちづくりに活かせるとは思っても見ませんでした。

大学4年生の時、ふと手にしたウィーン生まれの社会思想家、イバン・イリイチ『脱学校の社会』に引きつけられました。

ろくに勉強をしていなかった私がこれを卒論にしようと思い立ちました。天の啓示みたいなものです。

学校だけが教育の場ではなくコンピューター社会が進展すればいつでも誰でも学べるという発想は新鮮でした。

子供たちを学校に縛り付けることこそ古い価値観で子供たちを縛ることになるという革新的な思想も魅力でした。

その後、NHKの記者になると卒論のことはどこかに飛んでました。1998年2月町長になって蘇りました。

神奈川県でいちばん面積が小さくてこれから発展しようとしている町を舞台に脱学校のまちづくりを展開したいと閃きました。

町長である私がまるで教師のようになって町内の保育園、幼稚園、小学校、中学校を回りました。

町内にある100年の伝統を誇る県立の農業学校にも足繁く通いました。学校に行くのが楽しみでした。

卒業式、入学式のあいさつは、単なる形式的なものではなく練りに練ったメッセージを子供たちに贈りました。

町長になってすぐに町立の中学校の卒業式がありました。挑戦をテーマにあいさつをしました。

自分自身の衆議院議員への挑戦と失敗について語りました。挑戦することで得ることが必ずあると呼びかけました。

卒業生の反応はすこぶる良かったです。実体験者が失敗を恐れるなという分けですので多少は説得力があります。

保育園や幼稚園の卒園式では事前に園児たちの卒園アルバムを見せてもらいあいさつのヒントを得ました。

将来何になりたいかという夢を調べてあいさつに盛り込みました。園児たちも身近に感じるようでキャッキャ笑ってました。

一連のあいさつを通じてひとつの政策が生まれました。幼稚園から県立高校までをひとつのつながりと見ました。

農業高校の高校生と一緒の農業体験が実現しました。当時としては画期的な取り組みだと思います。

町長の出前授業も頻繁に行いました。通常の仕事の時より一層力が入りました。準備も入念でした。

出前授業を通じて初めて一方通行では子供たちに伝わらないということを学ぶことができました。

常に問いかけてやり取りする中で疑問点を解いていく工夫が必要なことがわかりました。

開成小学校6年生を町議会へ招いてまちづくりについてやり取りする子ども議会へと発展していきました。

子供たちの質問にも絶対におろそかにすることなくできることは実現するように心がけました。

かやぶき屋根の古民家でお化け屋敷をやりたいという提案を受け止めて翌年実現したこともあります。

子供たちからエネルギーをもらいました。子供たちこそが未来そのものであることを学びました。