二宮尊徳と言えば、小田原が生んだ偉人です。生家は、現在の小田原市栢山にあり、開成町に接してます。

小学1年生の遠足で、二宮尊徳の生家に行きました。私たちが住む足柄地域にとっても偉人だと言えます。

尊徳というより幼少時代の金次郎と言ったほうがなじみがあると思います。本を片手にたきぎを背負う少年です。

小学校と中学校の校庭にあっていつも目にしていました。頑張って勉強した少年だと何気なく見続けていました。

生まれ故郷の小田原市とは異なり開成町では教育の現場に二宮尊徳を持ち込んではいませんでした。

一般的な理解のまま大人になってしまいました。封建的な江戸時代の理想の人物というものでした。

暗いイメージがあって嫌悪感を持ち続けていました。深く知ろうとは思いませんでした。いわば食わず嫌いでした。

先入観がいかに害毒をもたらすかの典型です。色眼鏡をかけてしまうとなかなか実像には迫れません。

封建時代の理想の人物で頑張る少年のけなげな姿勢が頭にこびりついていてそうした理解を超えるのは容易ではありません。

少しずつイメージに変化が出たのはNHKを辞めて政治家を志した頃からです。40近くになってからです。

二宮尊徳を祀る報徳二宮神社に選挙の関係もあって通ううようになって二宮尊徳の思想の一端に触れました。

このころ初めて「積小為大」とか「至誠、勤労、分度、推譲」なる言葉に触れました。

小さなことを怠らす励んで偉大な実績を上げる。純粋な高い志、勤勉、わきまえる、余剰を譲る。

尊徳の思想の根幹をなす言葉の数々です。初めて接する言葉ばかりでした。正直言ってほとんど理解してませんでした。

今では意味するところは説明できますが当時は表面的な言葉だけをどうにか捉えることができた程度です。

多少は尊徳思想の神髄に触れることができるようになったのは随分と時間が経ってからのことです。

下地を作ってくれたのは「足柄の歴史再発見クラブ」の皆さんです。江戸時代に対する見方が変わりました。

封建的で暗いというイメージがから現代においても学ぶべき点が多々ある時代だと変化しました。

町長時代、1707年の富士山宝永噴火後の酒匂川水系に住む人たちの苦難をクラブの皆さんから学ぶことができました。

江戸時代の最先端の治水技術は、現代のような科学技術が進んだ時代にあってもなお応用可能なことを知りました。

コンピューターで計算しつくされた想定を軽々と超えてしまういわゆる想定外の自然災害がしょっちゅう起こります。

そうした時に役立つのが江戸時代のローテクであることを学びました。二重堤防のかすみ堤が典型です。

江戸時代はバカにできないと思い知りました。時代感覚の変化が二宮尊徳に対する関心の高まりとなりました。

町長時代の最終盤に「報徳サミット」といって二宮尊徳をまちづくりに活かしている市町村の仲間入りをしました。

すぐに知事選出馬のため町長を辞しましたので勉強は中途半端なまま終わってしまいました。