私の平成史75~二宮尊徳4~

二宮尊徳の神髄が実践であることを知って尊徳の存在がぐっと近くなりました。リアルに受け止めることができました。

道徳は確かに生きる上で大切なことです。しかし道徳を唱えていてもそれだけでは意味がありません。

人は人の背中を見て学び成長します。口先だけの人は真の指導力を持ちません。実践がないからです。

疲弊した農村再興に全てを賭けた実践者だという二宮尊徳の実像は私にとって理想の人物となりました。

戦前の日本の社会で祭り上げられた二宮尊徳像を完全に払しょくすることができ色眼鏡を外せました。

先入観が無くなったことで二宮尊徳書輝いて見えるようになりました。でも厳しいです。厳父という感じです。

ときおり二宮尊徳の話をして欲しいと依頼されるときがあります。新たにつかんだ尊徳のイメージを伝えます。

実践の人だと繰り返します。どんな方にとっても手本となる人格とノウハウを持っていると述べます。

二宮尊徳を調べているうちに尊徳は単に実践者だけではなく社会変革者だということに気付きました。

封建社会の江戸時代にあって身分制にがんじがらめになりながら刻苦勉励した偉大な人物というイメージの完全なる逆転です。

体制を変革しようと時代の潮流と格闘した革命家の側面を色濃く持っていたという見方を知り衝撃を受けました。

国際二宮尊徳思想学会常務理事の宇津木三郎さんの説です。直接話を聞いて私は引き込まれました。

二宮尊徳の根本思想は良く四つの指針で語られます。至誠、勤労、分度、推譲の四つです。

至誠と勤労は、わかり易いです。高い志を持って真心こめて一生懸命働くということです。

問題は、分度と推譲です。分度とは、倹約に努め、生活に一定のラインを引くことです。

そうすれば余剰が生まれ、その余剰を社会のために譲ることができるというのが分度と推譲です。

経済の仕組みを常に循環させるための法則と言って良いです。二宮尊徳はこの仕組みの実施を領主層に求めました。

ぜいたくな暮らしになれている領主層にとっては生活を切り詰めることは苦痛です。反発が出ます。

農民出身のくせに偉そうなという感情に転化したと想像します。生まれ故郷の小田原藩からは締め出されました。

宇津木さんは、二宮尊徳の社会変革思想についてふたつの重要な視点を提供しています。

ひとつは上級の領主階層ではなく農村の指導者たちの覚醒と実践に期待を良さたということです。

もうひとつは、先駆的に社会変革を実現できる地域で実践しその方式を全国に伝播させようとしたということです。

下から社会変革を起こして燎原の火のように横に徐々に広げて行こうという手法を考えていたというのです。

心が湧きたつような感慨を覚えました。地域から社会変革を興し新たな国づくりをすることに他ならないからです。

まちを興し、国を創るという私のまちづくりの根っこの思想そのものでした。気づくのが遅かったです。

同時に意欲ある若い人たちに伝えて行けばまちを興し国を創ることができると確信を持ちました。