スペイン風邪は、なぜスペインと名前がついたのか?
いつもと違う新年度で戸惑っている方も多いのではないでしょうか。私もそんな一人です。
神奈川大学の新年度のスタートは一か月伸びて5月の連休明けとなりました。講義計画の変更で慌てました。
会社の参与として週に1、2度東京と横浜に出ていましたが今月からしばらく在宅勤務になりました。
先月と今月、二宮尊徳などの講演を4回依頼されてましたが全て延期か中止となりました。
関わっているボランティアグループの総会も次々と延期となったり書面での開催になりました。
結果として時間がたっぷりできました。孫君たちの応対以外にやれることがたくさんあります。
ほこりをかぶったままだった書棚の整理をしてます。片づけることで結構頭の整理もできます。
思わぬ本を見つけて自分自身いつ購入していつ読んだかすっかり忘れたものもありました。
そんな一冊が、山本太郎著『新型インフルエンザ』という2006年9月に発行された岩波新書です。
世界がふるえる日というサブタイトルがついてます。まず著者名を見てぎょっとしました。
れいわ新選組の山本太郎さんがこんな本を出していたのかと思ったのです。違いました。
著者は、感染症対策を専門とする医師で当時外務省の国際協力局に勤務されてました。
読み返しました。新型コロナウィルスの報道の際に時折出てくるスペイン風邪についての説明がありました。
釘付けになってしまいました。全く無知だったことに気付いたからです。読んだはずなのにと恥じました。
スペイン風邪というとヨーロッパのスペインで発生した感染症で世界に広まったと誰しも思います。
全く違います。ふたつ説があって中国説とアメリカ説でどちらが正しいのかは今後の研究ということです。
1918年から19年にかけて3度の流行があった新型インフルエンザで甚大な被害をもたらしました。
推計の死亡者数は、4880万人から1億人とされています。数字に随分と開きがあります。
中国の被害者数があやふやだからです。中国の推定死者数は400万人から950万人です。
最大の被害を出した国はインドでした。1850万人。アフリカ238万人、ヨーロッパ230万人。
アメリカ68万人、日本は39万人です。全世界に感染をまき散らした原動力は第一次世界大戦です。
当時は戦争の最終盤局面、アメリカなどからヨーロッパ戦線に送られた兵士たちの間で大流行となったのです。
アフリカにあるヨーロッパの植民地でも戦闘があり感染は広がりました。インドはイギリスの植民地でした。
日本に伝播したのは横須賀に入港した外国の艦船だと言われています。結果として1919年に戦争は終わりました。
新型コロナウィルスで3つの密を避けて欲しいと政府は呼び掛けていますが線上の兵士たちの環境は密そのものです。
身体を寄せ合って移動し劣悪な宿舎で寝起きしていたのですから感染しない訳がありません。
さて最初の疑問に戻ります。なぜスペイン風邪と言われるようになったかです。答えはわからないということです。