SARSと新型インフルエンザの流行から何を学んだか2

SARS=重症急性呼吸器症候群の感染拡大はたったひとりから始まったことがその後の調査で判明しています。

香港の大陸側にある九龍地域の高級ホテルメトロポールホテルに宿泊した64歳の医師から感染が広がりました。

中国広東省でSARS患者の治療に当たっていていわゆる濃厚接触者でした。2003年2月21日宿泊しました。

発熱と激しい席で入院しその後死亡してます。死因は、SARSでした。同じ9階にの宿泊者に次々感染が広がりました。

12人です。この宿泊客が航空機で各地へと移動し世界へと感染が拡大していったことがわかってます。

別の階の患者には感染がひろがらなかったということです。日本人団体客も宿泊していました。

もし万が一日本人団体客に感染が広がっていたらSARSは、日本でも感染者が出て大騒ぎになったことでしょう。

航空機で拡散していきますのであっという間に世界に広がりました。グローバル時代の感染症の脅威です。

中国本土はもちろんのこと、香港、台湾、マカオ、モンゴル、ベトナム、フィリピン、アメリカなど32か国です。

WHO=世界保健機関が原因不明の肺炎をSARSと名付けたのは2003年3月12日だっとということです。

驚くべきことにこの時点でも中国側は流行そのものを認めていなかったということです。

中国側が調査団の受け入れを認め調査が開始されたのは3月23日でした。少なくとも2か月以上を無駄にしました。

SARSは、北京を中心にさらに拡大し4月20日になって中国政府当局は重大問題として位置づけました。

情報伝達の不備と隠ぺい体質を反省し責任者を更迭したということです。今回の新型コロナウィルス対応と似てます。

しかし中国という国のしぶとさというか自国の独自の主張を言い張る体質はまだ続きます。

SARSの病原体の特定をめぐるWHOを中心とする国際的医療研究者同士の連携と協力が進展しました。

『感染症とたたかう』の共著者の方は、あたかも一つの医療機関であるかのように活動したと振り返ってます。

その中で中国はウィルスではなくクラミジアという細菌であるとの主張を最後まで曲げなかったということです。

結果的には新型のコロナウィルスが原因であることが判明しました。現在騒動となっているものとは異なる種類です。

4月16日にWHOは、SARSの病原菌について新種のコロナウィルスであることを発表しました。

6月には感染拡大が収まり一挙に世界に拡大したSARS騒動はようやく終息を遂げました。

感染国のひとつベトナムでは一人の医師の判断でいち早く情報が発信されて院内感染の拡大を防ぎました。

この医師は感染し死亡しましたが、その後の感染拡大を阻止することに多大な貢献をしました。

当時のベトナムには感染症専門の病院はありません。フランス植民地時代に建てられた病院が対応の拠点となりました。

病棟間の距離があり院内感染の防波堤となったとのことです。最先端ばかりが役立つとは限らない証左だと思います。