SARSと新型インフルエンザの流行から何を学んだか4
2009年の新型インフルエンザの流行はメキシコ、アメリカ、カナダが中心でした。
日本でも感染者が出ましたが昨日のブログで書いたように症状が軽いということで印象が薄いです。
『パンデミックとたたかう』の語り手である押谷仁医師は、SARSとの差を厳しく指摘してます。
SARSは、潜伏期間が4日間から10日間とされ発症してもしばらくは感染力は弱いです。
新型インフルエンザは、潜伏期間が1日から4日間で発症してすぐ感染性がピークを迎えます。
人から人へと移る時間をジェネレーションタイムといい、SARSは、10日、新型インフルエンザは、3、4日です。
要するに拡大するテンポが速いということです。すなわち封じ込めが難しいということになります。
感染者の集団であるクラスターが発生すると手が付けられなくなる可能性が高いということです。
症状が弱いということで安心してしまうことは危険です。弱くても高齢者らの弱者にとっては脅威です。
この辺りの感染拡大のメカニズムを社会的な経験として国全体で共有しておく必要がありました。
一斉休校措置などによって関西方面の流行を抑え込めてそれだけで満足してしまった感は否めません。
今回の新型コロナウィルスのまん延が始まった際に2009年の経験が共有されていれば冷静な対応ができました。
症状の強さ、致死性には誰もが関心が向きます。潜伏期間と感受性にはすぐには目が向きません。
感染症の専門家以外の医師や感染症対策の最前線の行政当局者が基本を身に着けていたかどうか難しいところです。
メディアの科学を担当する部局もそうです。専門家に近い知識を有する記者を育てていたかというと疑問です。
専門家に近い知識を持っていないと不正確な情報のはん濫のもとになり混乱を招くだけです。
『パンデミックとたたかう』の最後の章は、「想像する力」という題名が付けられていました。
押谷さんは、知り合いでなくても、感染したら重症化するかもしれない人が必ずいることを指摘してます。
作家の瀬名秀明さんは「つながっている」という感覚を持つことが大切だと述べています。
個人主義の風潮の進展は公衆衛生的な考え方とかい離しがちです。感染症を抑えるのが難しくなっています。
今回の新型コロナウィルスで医師や医師の卵の皆さんが不注意で感染する事例が報道されてます。
一番緊張感を持たなければならない方々が夜の飲食に行き感染するなんて医療の世界の堕落も激しいです。
これでは危険に身をさらして感染拡大を防いでいる専門医の皆さんが哀れに見えてきます。
個人主義の時代に公衆衛生の有効な対策を打てるか極めて難問が突きつけられているといえます。
中国のように有無を言わせずに強権発動をするしか手はないのでしょうか。悩ましいところです。
4月7日に日本は新型コロナウィルスの感染拡大防止のための緊急宣言が発せられました。
5月連休明けの1か月間の措置です。個人主義の時代で強制力を持たず社会を守れるかまさに正念場です。