新型コロナウィルス対応の政治学1

新型コロナウィルスの感染拡大を阻止できるかどうかという重大な危機に日本は直面しています。

この重大危機をどう克服するかは日本の政治だけでなく日本の存在、全てがかかっていると私は思います。

リーダーの役割が大きいです。リーダーの在り方を国民全体に鋭く問いかけてくる課題です。

安倍総理をはじめとして政治リーダーの決断が全国民にただちにかぶってくる問題だからです。

感染症の専門家に聞けば解決する問題ではないことに注意する必要があります。決めるのは政治だからです。

感染症の専門家は、専門的な知見に基づいて理想的な対策を求めるのが仕事です。

しかし、それでは日本の経済や財政が立ち行かないという政治力学が一方で働きます。

その相矛盾する課題の中でどのあたりでバランスをとるのかは感染症の専門家は結論を出せません。

総理大臣を始め関係する閣僚や首長らが前面に出て全責任を負って決断するしかないのです。

政治リーダーにとって今ほど獅子奮迅の働きをする時期はありません。このような時のために地位についてます。

大正時代のスペイン風邪や21世紀のSARSのようにまん延した新型感染症の事例はあります。

これらを参考にしながらも性状が異なり新たな対応が迫られています。求められるのは政治決断です。

日本は際立って特異な戦略をとっています。強制力を持たせずに活動自粛を促しているからです。

中国や欧米をハードというのであればソフトな対応です。こうした対応で活動自粛が進めば奇跡に近いです。

いざとなった時の日本人の団結の強さを全世界に見せつける典型的な事例となることでしょう。

そうした団結を引き出す決断を総理大臣がしたということでこちらも賞賛されることになります。

しかし、一方で逆もあります。ソフトな対応とはあいまいな対応です。どっちつかずで徹底しない可能性もあります。

結果として感染拡大を阻止できずに医療崩壊や更なるまん延を引き起こすかもしれません。

そうなれば全世界から袋叩きです。日本の政治が問われています。同時に日本という国、国民性も問われます。

安倍総理を始め現在の対応の決断を下したリーダーの方々の危機意識は十分なのか心配です。

私は日本そのものが問われているという危機意識が足らないように見えてなりません。

安倍総理は毎日記者会見しても良いと思います。日本の存在がかかっているのですから。

国民にもっともっと捨て身で呼びかけても良いはずです。私には本当の本気かと思えてなりません。

現在のような対応では感染拡大を阻止できずにその責任追及の矛先が安倍総理に向きかねません。

安倍総理だけが責められるのならば交代すればよいのですが日本の存在が責められるとなるとそうはいきません。

ソフト対応で行くと決断したのですからもっと国民にひれ伏して要請する姿勢が不可欠だと思います。

それと休業に対する資金面の保障です。これなくしてソフト対応は効果を上げません。捨て身ならば決断できるはずです。