新型コロナウィルス対応の政治学10
地方の側から政府に対し強く迫る迫力に今ひとつ乏しいのには、構造的な要因があります。
全国の知事は中層省庁の出身者が目白押しです。全国知事会の会長は中央省庁の出身者がたいていは就きます。
現在の飯泉徳島県知事は旧自治省、現在の総務省出身です。前の会長の京都府山田前知事も旧自治省です。
一方政府の対応の直接の責任者の西村経済再生担当大臣は経済産業省の役人から政治家に転じました。
極端に言えば中央省庁の役人同士の交渉の延長線上で新型コロナウィルス対応が議論されています。
昨晩のNHKニュース7で全国知事会会長の飯泉徳島県知事と西村経済再生担当大臣のテレビ会議の様子が流れてました。
飯泉会長は政府が新型コロナ対策への勝代を認めた1兆円の地方創生のための交付金の増額を求めていました。
国民一人に対し10万円の特別給付のための予算13兆円弱に比べて1兆円はあまりに少ないです。
政府は休業補償に対し活用もできるということをアピールしていますが焼け石に水の額と言わざるを得ません。
営業を自粛して欲しいといってもパチンコ店のようにただ口だけでは言うことを聞かない業界も出てきます。
休業補償に対し明確な政府として責任を持つとの一言が不可欠です。それがないと武器なしに戦えと同じです。
各地域の対策の指揮官である知事を代表して飯泉会長はもっと激しく迫っても良いはずですがそうなってはいません。
この手の話を進めるにあたっては狂気が必要です。この人狂っているのではないかという迫力が事態を動かします。
その様子がメディアを通じて伝われば、注目を集め国民全体の危機感を促すことにもつながります。
率直に言えば演じ切ることが求められているのです。しかし、中央省庁出身のエリートはこの手の舞台が苦手です。
国民を喚起するような台本をそもそも作れないし台本を踏まえてアドリブで狂気の踊りをすることもできません。
声高に叫びつかみ合いをしろとは言ってません。狂気の味付けを見せつけろと言っているのです。
新型コロナウィルスの危機を切実に感じていれば中央省庁出身のエリートも被せている仮面をとれると思います。
国家的危機の時に冷静さ一辺倒で事態を動かすことは不可能です。情念がほとばしる局面が必要です。
このままでは全国知事会は大した機能を果たさずに終わってしまいます。役に立たないという評価が定まります。
首都圏は、埼玉県の大野知事だけが中央省庁の役人出身です。3月のさいたまアリーナでのK1開催を止められませんでした。
開催当日会場周辺を見回る大野知事の姿がメディアで流れてました。いささかも狂気はありませんでした。
昨年8月埼玉県知事に就任したばかりで戸惑いがあったのかもしれません。しかし逆に言えばチャンスでした。
この時に狂ったように主催者と掛け合い、無観客試合としていたらその後の展開は変わったと思います。
大野知事は、ヒーローとなるチャンスを逸しました。現代の殿様に過ぎないとの烙印が押されてしまいました。